フィリピンで思ったこと

南国フィリピン、セブ島
そこにぼくは6ヶ月ほど暮らしていた。
旅行ではなく仕事。 まだ駆け出しだったということもあり、アパートやホテルではなく、現地社長(スペイン系フィリピン人)の邸宅に下宿していた。
駐在中、現地で内戦が勃発してしまい、政府軍と反政府ゲリラ群がフィリピン全土でドンパチしていたのだ。 ぼくにとって機関銃の音を聞いたのはそのときが初めてだった。

日本の本社や残した家族はそれなりに心配しているのだけれど、なにしろ空港がゲリラ群に占拠されているから帰るに帰れない。 行動も制限され、仕事も朝晩テレックスで報告業務程度。 あとは英語のトレーニングとうそぶいてオフィスの女の子をからかっていたり、ワープロをいじりながら時間をつぶしていた。 戦争中とはいえ戦闘はわりとのんびりしていて、戦闘予定地はあらかじめどちらかの軍が教えてくれていた。そこさえ避けていれば、人々はわりと普通に暮らせていた。 屋台が出ていたし、店先でヒマな男たちがカード遊びに興じていた。
近くには日本のヤクザも住んでいた。 たまに彼はぼくをマンゴーアベニューのカラオケパブに連れて行ってくれた。 彼もまた、暇を持て余していたのだ。 ある日、そのヤクザのなじみの子とデートしたことがバレて、逆上した彼に殺されそうになったことがある。 あとで「ジョークやがな」いわれたが、正直いって戦争よりこっちのほうがよっぽどコワかった。

下宿していた邸宅は、メイドが2人住み込んでいた。
二階へと続く階段の下に不思議な形のドアがついていて、その内側が彼女たちの住処となっているのだ。 その部屋はとても狭く、居心地が悪そうにみえた。 ベッドはなく、代わりに薄いマットが畳まれていた。
ぼくは彼女たちがとても不憫に思え、ぼくが使っている部屋を使うよう話してみた。 二人のうちひとりは英語を解したが、「そんなことしたらマスターに殺される」と真顔で言う。 いいんだよ、とぼくはたしなめ、ぼくなら庭のハンモックで寝るからと言った。 二人はぼくの提案をかたくなに拒絶し続け、しまいにはぼくとしゃべることすら避けてしまうのだ。
あとで、ぼくがしたことは実はとんでもないことなのだと、社長からしかられた。 「この国にはこの国の秩序がある」 のだと。

たとえ彼女たちよりもずっと年下で、彼女たちよりも働いていなくても、ぼくは彼女たちよりもずっといい給料をもらい、彼女たちよりもずっといいベッドで毎晩寝ている。
それでいいのか?と、当時のぼくは合点がいかない。
生まれる場所と生んだ親を選べなかったのはお互いさまじゃないか。 ぼくがフィリピンで生まれ、彼女たちが日本で生まれる可能性だってあったのだ。

それから欧州に渡って十数年経ったあと、こんどは香港に移り住むことになった。 そこにはさらに大勢のメイドたちがいて、現地の日本人は彼女たち(たまに男性もいる)のことを ”アマさん” と呼んでいた。
香港には共稼ぎ夫婦が多い。 それは子供がいても変わらない。
子供の面倒や家事のほとんどは、このアマさんが行う。 多くはフィリピンからの出稼ぎ、ほかにインドネシアやネパールから来た人々も多い。 理由は経済合理性。 専業主婦をするより、メイドを雇って、自分は外で働いたほうがより贅沢な生活ができるからだ。

アマさんの給料は住み込みでも5000HKドル(7万円)が相場(2001年当時)。 対して香港人主婦が普通に働けば、少なくとも倍は稼げる。 スキルがあれば4倍以上稼げるだろう。

ぼくも香港では、通いのアマさんを雇っていた。
彼女は毎週土曜日にぼくのアパートにやってきて、掃除や洗濯、アイロンがけや植物の世話などをしてくれていた。 ぼくがセブ島に住んでいたことを喜んでくれ、フィリピン料理をこしらえてくれた。 彼女はとても働き者で、20歳になる息子をフィリピンに残す母親でもあった。

「たぶんあなたとは気が合うはずよ」 ある日息子の写真を見せながら彼女は微笑む。「だって聴いている音楽の趣味がとても似てるもの」
そんなときぼくは彼女を母親のように思うのだ。 こうするしか仕事のない祖国を、彼女に代わって少しだけ恨んでみるのだ。

もちろん世界は不平等だからこそ成り立つのだろう。
こうしてぼくたち日本人が快適に過ごせているのも、ある意味世界にまたがる不平等のおかげだ。 安い賃金の国で作られたモノが先進国にあふれている。 日本ではコンビニのバイトで30分も働けば一食ありつけるけれど、世界の半分以上は一日中必死に働いてもきょう食べるのがやっとというのが現実だ。

そんな飽食・消費大国日本ではあるけれど、人々にメイドやアマさんを雇う習慣はない。 世帯年収が一千万円以上あろうと、香港のように住み込みのメイドを雇うほど落ちぶれてはいない。 この国に7万円で一ヶ月まるごと雇えるアマさんは存在しないし、そもそも雇おうとする発想すら、ない。

それでいいのだと、ぼくは思う。
日本でどんなに格差や不平等が叫ばれようとも「普通の家にメイドがいない」ことは、本質的に自分の上や下に人間がいることを、この国の人たちは好まない証拠だと思う。 経済合理性はこのさい、二の次、三の次なのだ。

たとえば、ぼくたち日本人の祖先は人種差別を本気で撤廃しようとした。 1919年、第一次大戦の戦後処理を行うパリ講和会議では、日本代表がどうどうと「人種差別撤廃条項」を提案している。 そして、11対5で賛成多数であったにもかかわらず、議長のアメリカが反対したため可決しなかった。 またしてもアメリカ、なにが民主主義の国だ、と思う。

フェアであること。
そのことが、ぼくにはとても大事に思えます。

メイドは秋葉原で、じゅうぶんだと。

人気ブログランキングへこの記事はイラ写ベスト20に選ばれました。ブログランキングへ!

17 件のコメント

  •  マスク姿が異様に目立つ東京から戻りました。
    アメリカの元祖とも言える大英帝国が「ご都合+利己」的ですから、言うまでもありません。*グルカ兵の永住権を認める。

    O大統領の関心は、日本でなく中国である。
     彼は若いがかなりしたたかである。将来の政的を自家薬籠中に取り組むと共に、資金源を重用している。
    *1.中国駐在大使、ユタ州ジョン・ハンツマン知事(49)の起用を固めた。野党・共和党。2012年の次期大統領選有力候補か
    *2.駐日米国大使 企業M&A専門の弁護士ジョン・V・ルース氏が内定。オバマ陣営最大の資金調達者の一人
     ●日本の専門家、ジョゼフ・ナイ教授(ハーバード大)は起用せず。

  • なおきんさん、こんにちは。

    貴重な体験談をありがとうございます。
    欧米にはボーディングスクールなども有って、
    日本みたいに親が全てを負わずに分業するシステムが
    有りますよね。しかし、下流の部分を誰が賄っているかと言ったら、アフリカやアジアをはじめとする移民では
    ないでしょうか?

    日本はもっと外国人を受け入れるように!などといかにも”人助け”のように移民対策なども叫ばれていますが、
    裏を返せば、結局そうする事で途上国の人々はずっと
    移民をしなければ生きていけないような状態で、
    国内情勢もほとんど改善される事が無いのですよね。
    そして、それを良い事に、先進国は都合の良い様に
    移民を使い、自国の根本的な問題にふたをしてしまう。
    それは先進国民にとっても進歩の無い事ですよね。
    それに、先進国が移民を受け入れる見返りに、資源を
    優先的に得られるなどという国のトップ同士による
    交渉も勿論あるでしょうし。
    そうなると、移民によって仕事を奪われるその国の
    人々も犠牲になり、移民として働く人も自国の発展に
    貢献出来ずに先進国で酷使されるなど、裕福ではない
    一般人が辛い思いをするのですよね。
    そう、20:80の法則で言えば、80の部分の人々が。

    賢く、資金力の有る20の部分の方々は、もう理不尽な
    歴史を繰り返さず、いかにシェアできるかを考えて欲しい
    ですね。例えば、自分だけの豪邸を作るのではなく、
    自分に必要なシンプルな生活を確保したら、残りは
    社会に還元して、大勢の人を幸せにしてまた回ってきた
    富を得るとか。
    何と言うか、説明が難しいですが、人を生かすことで
    自分が考えもしない便利でユニークなものが出来たり
    すると、結局自分もその恩恵を預かれるというか。

    一番良いのは、皆が生活の為ではなく、やりたい事を
    やって自分達で必要な物を作って普通のシンプルな暮らしが出来る事ですよね。上流も下流も無く、自分の必要な事を努力と学びで叶えていく。人を利用しない。
    そうは言っても全ては自分で出来ないので、人の手を
    借りた時にはちゃんと感謝する。それは確かに、私達が
    祖父母達から教わったとても基本的な生き方だったり
    するのかもしれません。何だ、基本に戻れば良いんだ。

  • なおきんさんは、金美齢さんを御存知ですか?
    テレビの太田総理に出てくる口の達者なおばさん(失礼)
    です。台湾出身の方ですが、「日本人は自分達に誇りを
    持ちなさい!。」と日本人に考えさせてくれる貴重なお方
    です。日本の歴史にはいろんな事が有ります。
    私達は何故か知らないけれど、歴史の戦いなどの悲惨な
    部分ばかりを教わっていて、歴史=重々しい難しいもの
    というイメージを植えつけられてしまっているのではない
    でしょうか?
    過去の事実をしっかり検証して過ちを繰り返さないように
    する事は当たり前のことですが、過去の素晴らしい事実・
    風習・考え方を掘り起こして日本の素晴らしい歴史を
    世界にアピールする事も忘れてはいけませんよね。
    優秀な人々の発明もそうですが、日本の昔の暮らしは
    究極のエコ生活だったのですから。
    あ、でもあの昔のぼっとんトイレは嫌ですが。(笑)

    なおきんさんは絵がお上手なので、世界中の子供からお年寄りにまで幅広い人に向けて情報が発信できると思います。是非、教科書以上の、教科書が教えてくれない情報を
    発信し続けて下さい。教科書よりも価値の高いものを。

    私も、自信を持って良いものは良い!と発信できるように
    なります。それで、判断するのは皆さんですし、それについてとやかく言う権利は無いですものね。
    大切なのは、気づいて自由になる事なのかもしれません。

  • 日本にはお手伝いさん、家政婦さんがいましたよね。でも、「メイド」のように人種に絡んだ卑屈な上下関係はないですよね。単に家事のきりもりだけでなく、信頼を基にした雇用関係が成り立ってましたよね。家族の一員ではないけど、すごく近い人。だから、逆に言うと「メイド」には信用がない、そこで徹底して主従関係が幅をきかせることになるのではないかと思います。しかも徹底的に安く。世の中は民主主義だから職業に貴賎はないといいながら、本当に人間として対等なのかっていうと、かなり疑問がありますよね。家事一切プラス子供の面倒は、一般に家の外で働く仕事に比べると「劣る」と見なされて、そんな風に扱われる。女性の権利や主義主張華やかな欧米(他も)でこれですもん。矛盾も甚だしい、とか思ってしまいます。なおきんさんの感じておられることは健全です。

  • お久しぶりです。
    私は現地を回ったことがないので、自分のみを持って学んだことではありませんが、短大での英語の課題でメイドのことや、一日1ドルで生活している人たちの話を知りました。今は、インターネットや飛行機の発達で、昔のように身売り同然で外国に渡る人は少ないですが、個人のつてでメイドや住み込みの乳母の仕事にありついても、暴力や低賃金重労働で、奴隷のように働かせられている人も居るようです。それなのに、貧乏な国は女性が外国に行ってお金を稼ぎ、地元に残った家族を養ってくれることを望んでいるので、そういう仕事の斡旋を手伝ったりするところもあるそうです。中国では子供の数が少ないため、特にフィリピンからのケアーワーカーを頼る人が増えているそうです。家族のように世話をしてくれるフィリピンのメイドさんの優しい心と裏腹に、自分を見捨てていく息子に、悲しい思いをしている老人達がたくさん居るとか・・・。

    私は他人が家の中に入って、自分の家のものを触るなんてことを考えたら、どんなに忙しくても自分で家の仕事をしたいタイプです。

    なおきんさんのフィリピンでの体験、判る気がします。自分よりも目上の人が粗末な扱いを受けているのを平気で見ていられませんよね。
    これは、日本人の独特な考えなのでしょうか?

  • メイドがいる生活が当たり前の家庭が香港にはあふれています。需要があるのだし、それで国の家族が食べられるのであればそのシステムは成り立っていると思います。
    それでも、雇うものたちの雇われるものへの考え方、扱い方、いろいろと考えさせられます。
    メイドに何から何までやってもらって、家のことはまったくしない子供たち。必要ではないし、お手伝いしなさいなんて言われたことのない子供たちです。
    娘の友人にもこの手の子供だった人がうじゃうじゃいます。
    そして、私はその現状をそのまま受け入れられないでずっと来ました。
    わかっちゃいるけど合点がいかない。
    だから 「それでいいのだ」と思ったなおきんさんにすごく共感できます。
    ずっとブログを読んできたけど、今までで一番共感できた瞬間でした。

  • 間接的だけど、ババが日本人は精神性が高い国と評価しているのを知っています。 だけど、西洋化?・・アメリカ追従型経済と政治で今は、衰退してるような気がします。 赤裸々な人種差別は無いけど、違う差別は日本社会でも多々あるのでどっちもどっちかなぁ・・と思います。 ただ当事者にならないと・・解らないみたいな・・ね? 落とし穴注意!かな。。。

  • 全ては無理ですが、自分でいろんな事ができるに越したことはありませんよね。お金持ちもいつまでもお金持ちとは
    限りません。しかし、突然自分でやらなければならない状態になっても子供の頃からの経験がなければ、もうパニックでしょう。

    日本にもお手伝いさんシステムは上流階級の家では昔から有ったようです。ただ、お手伝いさんというよりも、
    知り合いの良家のお嬢さんの花嫁修業の場や男子の場合は家庭教師やビジネスセンスを身に付けるための書生とか
    弟子のようなものだったと思います。そこには裕福な
    人々が尊敬・敬愛を持って人を育てるという考えが
    あったのではないでしょうか?
    言葉も文化も違う外国人を使って・・・・という考えは無かったでしょう。

    今はどうなのでしょう?都市部などには外国人のお手伝いさんを斡旋するような所は有るのではないでしょうか?
    外国人がたくさん住んでいますからね、東京など都市部は
    特に。話が合う同胞のヘルプが良い人はそういうサービスを利用しているのではないでしょうか??

    しかし、かたずけとか、自分でやる人であるほうが
    最初から汚さないようにしますしね・・・・。
    料理だって、自分で材料選びから味付けまで全て
    自由に好きなように出来たほうが結局は自分の健康の為
    だったり、いろんな知恵を得られたり、そしてそういう知恵は一生もの。自分の生活レベルがいつ何時急変しても
    なくならないので、自分の中心はゆらがないで済むという
    強い人間性なのですよね。お金では買うことの出来ない。

    意識が高い人こそ本当は豊かなのでしょうね。

    それにしても、お手伝いさん労働相場、低くしている
    のはやはり、その方がたを雇う人達なのでしょうね。
    おそらく、間に入って派遣する人達が一番得をしている
    のではないでしょうか?
    そういうビジネスは世襲だったりはしないのでしょうか?

    階級社会、大人が賢くならなければ、子供達が被害に
    なるのかもしれませんね。

  • 生まれる場所と生んだ親は選べない。同感です。だからそれが原因で差別されるなんてひどい話だと思います。日本にはメイドはいないけど、差別は公然と悪びれることなく存在していますよ。見るたびに、私がこんな日本人と同じなんてショックです。「外国人お断り」の看板や張り紙。

  • 2週間程前にインドネシア人のアマさんが住み込みで来てくれており、母子共にお世話になってます。

    現在ここ香港でのアマの現状はHKドル3580+食費手当がHKD300ドル、更に健康保険等の加入が義務付けされており、これら全て労働法により定められてます。彼女たちが祖国で働く賃金の2倍から3倍くらいを香港でアマとして稼ぎ、祖国に送金し、私の印象では彼女達はしっかりしたプロ意識とプライドを持って仕事をしていると感じました。祖国にいる家族に少しでも安定した暮らしや自分たちの子供に高い教育水準を与える為、また自分達の将来の為に必死になって今を働いてる彼女達の姿にかつて我々祖先達も同じような思いがあったのではないかと。そして今日の我々の姿は祖先達が思い描いていた未来の姿とはかけ離れているような気がします。そして私は未来すら思い描けない今を生きてるような気がします。

  • もの凄くおひさです。
    今回のお題には120%賛同します。
    これこそは日本人のメンタリティだと。
    香港人のアマさんに対する扱いはリアリティにおいては理解できるけども、メンタリティにおいては違和感を感じます。
    中国の考える理想もアメリカの民主主義も結局はお金至上主義ってことですよね。

  • ターボペンギンさん、一番ゲット、おめでとさまです!
    かつては日英同盟、そして日米同盟。その実は同等とはほど遠い師弟関係、いや、ただの「いじめっ子、いじめられっ子」関係かもしれません。対米態度は少しくらい「わがまま」でいるのがいいようです。中国を見ていてそう思いますね。
    ——————————-
    はるさん、感銘いただきありがとうございます。 ご自身の身の回りに心当たりがあれば、いろいろ考えてみてくださいね。
    ——————————-
    れいなさん、以前コメントをいただいたことのある”れいなさん”でしょうか? それとも初コメント? いずれにしても長文コメントをありがとうございます。「移民」についてのれいなさんの考え、共感しました。人類平等を本気でやろうとすれば、日本人は1920年代くらいの生活に甘んじなければならないのかもしれません。是非派ともかく、シンプルであることは、地球からの警告とも合致してますね。
    ——————————-
    ゆうさん、初コメント、ですよね? ありがとさまです! 金美齢さんなら著書も読んだことがあります。たしか、もと李登輝大統領時代は政府アドバイザーでしたよね。これまで多くの年輩の台湾人のかたにお目にかかりましたが、つくづく昔ながらのよき日本人を感じさせますね。「昔の日本人は今のように早口でなく、言葉をもっと選んで話していたものだよ」などと説教されたこともあります。励まし、ありがとさまです。たしかにいまの歴史教科書は、なぜか史実をあえて曲げているようなところがありますね。少しずつ、ぼくなりに露出してみたいと思っています。
    ——————————-
    ぱりぱりさん、メイドの祖先は奴隷、家政婦の祖先は乳母。同じ身の回りの世話をしていても、成り立ちが全然違いますよね。ぼくはメイドという職業を全否定するわけではありませんが、優越と蔑視の関係性についてはやはりひとこといいたいところです。フィリピンという国がなぜいまでも「出稼ぎ産業」に頼らざるを得ないのか? なかなか根深いものがありますね。
    ——————————-
    ぷうさん、ぷちおひさです! あのとき、「お前の考えていることは、安っぽいヒューマニズムだ」、確かそんな風にしかられたのを覚えています。たしかにぼくは青臭かったのかもしんないです。いっぽうで、自分の意志で国外に出稼ぎに行ける環境でもあるわけで、国内で飢えるより積極的に外貨を稼げる手段は幸福であるといえるかもです。今回の記事はそれをふまえたうえでアップしました。いろいろ考えちゃいますよね。
    ——————————-
    Junpeiさん、目の前にあることを「あたりまえ」としてでなく、その背景や歴史、未来についてあれこれ思索してみるのもいいかな、と思います。「メイド」については賛否両論だと思います。機内で泣き叫ぶ赤ん坊をアマさんがあやし、親たちは知らん顔、てなシーンに閉口したり、アマさんのひとりに「好きでやってるんだからほっといて!」といわれたこともあります。 ただJunpeiさんのコメント通り「子供の教育」のことを思えば、「アマさん不要論」に根拠はありそうですね。 過去一番で共感してもらい、うれしいです!
    ——————————-
    たまやんさん、日本人の精神性って時代に応じた相対性がありそうですね。例えば物質、あるいは利便性。モノの欠損を精神で埋めたり、利便性から生まれる時間を精神強化に充てるといったような。ともあれ、「収入差」という経済合理性だけに支配されない日本人のフェアさは、まだ救いがあるようにも思えるのですが・・。
    ——————————-
    AKOさん、初コメントありがとさまです!
    メイドを雇うことの悪弊はおそらく子供の教育ではないかと、ぼくは思っています。「家事」と「子の躾」というのは相関性がありますからね。東京では「年収700万円以上の人は家事支援サービスを!」という広告があちこちで見受けられましたが、どうやら定着しなかったようです。香港とちがって、時給3500円はやはり高い。かといって、例えば外国人メイドが800円でやれば任せるか? かどうかは微妙でしょうね。 親の手伝いをしない子供が、やはり親の手伝いをしない子供を育てる。そんな連鎖が世界のありようは、やはりダメ出ししたいです。
    ——————————-
    kenさん、差別はいつの時代にも、どこの世界にも存在し、消えてなくなることはないと思います。また、その「差」が経済合理性へとつながったり、それゆえの繁栄もあるのでしょう。 理不尽です。 なかなか、せつないものがありますね。さて、「外国人お断り」については別の理由があったりしますが、一様に「外国人」とひとくくりにする短絡性は改めるべきかもしれませんね。
    ——————————-
    うらっち、おひさしぶり! もらったコメントもすごくいい。多面的に考えたいテーマだけにね。さて、8,000万フィリピン人のうち、出稼ぎ人口は1,000万。またGNP870億ドルのうち、出稼ぎ労働ぶんが140億ドルというから、いかに出稼ぎ労働が本国に経済効果をもたらしているかがわかろうもの。 祖国やそこに残された家族が裕福でいられるのも、メイドとして雇ってくれるオーナーに余裕が生まれるのも、ひとえに彼女たちの勤勉さに支えられているという考え方もあるよね。 ただ、根深いのが人種問題。たとえば香港人が、フィリピン人と日本人を同列として見なしているかどうか、ちょっと疑わしいと思う。同じアジア人として、白人が有色人種を見るような優越感を、ぼくは味わいたくないだけなのかもしんないけど。 出稼ぎ女房に頼りきりで、国内でぷらぷらしているダンナ(東南アジアの男はどうしてこうも、働かないんだろう?)や、出稼ぎ収入を国家戦略としているフィリピン政府がこれを支持しているのもなんだか情けない。 あえてぼくはそう思います。
    ——————————-
    maabさん、ああほんとにおひさしぶり!
    ぼくは5歳のときに母親が家を出ていったので、祖母が来てくれた8歳までは食事も含めて自分のことは自分でやらなければなりませんでした。もしメイドがいれば、とても助かったと思います。でもあえて、身の回りのことは親がきちんとしつけるべきだと考えます。 経済合理性だけでは人は人として育たない気がしちゃうので。

  • 相変わらず、なおきんさんが熱いからコメントもますます熱いね。
    Remember The Milk早速使ってます。
    うんうん、面白い。
    今度ほぼ日記も欲しい・・・
    こんな小物の趣味はよく似てる。
    もっともなおきんさんほど、使いこなせないんだけど・・・好き!(笑)      
    今、グーグル携帯気になってるんだけど。
    特にそのインターナショナル性・・・

  • ♪ちょっと振り向いてみただけの異邦人♪には、分からない世界。
    生活があってこそ分かる世界。
    井の中の蛙は、そんな話を聞くのが好きです。

    そんな井の中の蛙の異邦人、大通りから一本入っただけで、別世界というか、ほんのほんの少し感じられる現実世界が好きだっりします。

    情報過多で、家にいながら、色々入って来る情報も、通り過ぎていくだけ。
    実は、それらに紛れて、とっても重要な事が人々からスルーされているような…

  • 今回のお話、私も上海時代の阿姨(アイ)さんを思い出しました。
    彼女は私の一つ年下で、働き者の一児の母親。
    一週間に一度家の掃除に来てくれていましたが
    彼女が一仕事終わる頃を見計らって家に帰り、「お茶しましょう」と誘っていました。
    毎回そんな風なので、彼女も気を遣ったのか
    時々田舎から送られたという卵やら落花生をくれたり・・・。(苦笑)

    2月に上海に家族で行ったときも、うちの娘をかわいがってくれ
    こちらから食事に誘ったのに、ご馳走までしてくれました。
    今思えば、「お手伝いさん」というより
    茶飲み友達のような…
    中国語のいい話相手という感じだったかもしれません。

  • なおきんです。 今回の記事は久しぶりに深いコメントのやり取りができてとてもうれしいです。 20記事に一回くらいはこういうことがありますね。 こんなふうな意見の共有があると、つくづくブログを続けてきてよかったなあと思います。
    —————————–
    遊子さん、おひさです〜!
    そうそう、書き手と読み手の温度感の一致というのがうれしいですよね。 同じ布団に入っているかのような・・、というのは意味のない冗談ですけど。 Remember the milk をご愛用のことで、よかったです。 グーグルのアンドロイド携帯、きになりますね。 日本ではあまりはやらなさそうですけど、世界標準モデルとして浸透していくんじゃないでしょうか。
    —————————–
    faithiaさん、いいですねえ、久保田早紀。 ほとんど一曲だけの大ヒットでしたけど、強く印象が残ってます。 「情報」というのは、「与えられたもの」と「取りに行ったもの」とで、だいぶ差がありますね。 「井の中の蛙、大海を知らず」というけど、ちゃんと 「されど空の高さを知る」 わけです。 だから、大丈夫です、きっと。
    —————————–
    まわるさん、これはこれはおひさです! お元気でしたか?
    いいエピソードですね。 そんな関係になれたのも、まわるさんのお人柄じゃないかと思います。 お手伝いの方も、そんな家庭で仕事ができて、とても楽しかったでしょうね。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    ABOUTこの記事をかいた人

    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。