自尊心なら棄てていい

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誰かに何かを言われて、カチンとくる。

そういうことが、たまにある。
自尊心が傷つけられた
というひともいる。

傷つけられたと思うとき、ひとは思いがけない言葉をはいたり、行動に出たりする。周囲から「まさかあのひとが?}と言われることもある。

ついカッとなってやった

という供述は、報道などでもよく耳にする。
べつの言葉で「感情的になった」ともいう。感情的になってやることは、よくないことが多い。「感情的になってつい良いことをしてしまった」なんてことは聞かない。そもそも「感情的になる」という意味がぼくにはよくわからない。人間の感情は「喜怒哀楽」あるのに、「怒」ばかりをとらえて感情的というのも違和感がある。

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つくづく「自尊心」というのはやっかいだ。
まず、なんとなく正当性を匂わせる響きがある。まるで人間の尊厳のように、侵してはならないサンクチュアリな響きがある。それだから「自尊心を傷つけられた」となれば、相手が悪いんだからカッとなって反撃したってかまわない、自己を正当化するのかもしれない。

だが自尊心は、読んで字の如し「自分に対して尊敬する心」なんかじゃない。自分をよく見せたい。自分の能力はもっと高いはずといった、といういわば「見栄」そのものじゃないかと。自分でもちょっと無理をしている部分であり、コンプレックスが潜む。要するに、あまり他人につついてほしくないデリケートなところである。人に触れられただけで飛び上がるほど痛い「すり傷の部分」のようである。だから過剰反応してしまうのも無理もない。なるほど「見栄」ならわかる。傷つけられやすいし、ずでに傷ついているのだ。むしろ褒めてもらいたいし、いたわってもらいたい部分だ。

つい、カッとなる。
それは弱さである。
エセの自尊心なら、棄てていい。

12 件のコメント

  • こんにちはなおきんさん。
    お盆休みも今日で終わり。久々のギックリ腰で、この休みを無駄にしてしまいました。
    自尊心、「もうこれ以上自分は傷つきたくない」て口癖の人が傍にいます。困りもんです。
    突然ですが、なおきんさんの写真、いつも楽しく拝見していますが、私も写真を撮ってみようかと思い始めまして。
    で、なおきんさん、何度かカメラとか紹介してたなと、思い出しまして、今朝から過去記事を見て、ました。
    なおきんさんのブログは検索しやすくて、ストレスまったくなくて、わかりやすかったです。感謝。
    さて、写真撮ってみよかな・・とうちの旦那に言うてみましたら、最近の綺麗な写真は、フォトシュップで加工されてんだぞ・・て言われました。じゃパソコで見る写真は撮れないってことかと思っていると・・
    なおきんさんがお使いのソニーαは自動いや手動でそんなフォトショップで加工したような写真が撮れるということなんでしょうか?
    旅日記の写真も後加工とかじゃないんですよね?私でも魔法みたいに撮れるのかなぁ?

  • ほんとですねー。
    感傷的になってとった行動って、後悔することのほうが圧倒的に多いですもんね。私も身に覚えがあります。
    「それは弱さ」という言葉にドキッ!としました。
    理性を保つには精神的な強さが必要なのかといまさらながら気付けました。自分を変えるきっかけにしたいです。

  • 自尊心と似てるけど違う言葉に自己肯定感がありますね。
    これを捨てちゃうと幸せになれないので、これは大事にしたいですよね。
    自己肯定感を得るため行う自己の評価には評価観点と採点基準と採点者という3つの要因があって、それぞれ2水準ずつあるように思います。
    評価観点には「a:独自に設定した観点」/「b:他人が設定した観点」。
    採点方法には「1:絶対評価」/「2:相対評価」。
    採点者には「あ:自分自身による採点」/「い:他人による採点」
    「い」の結果が自身の希望より下回ったときに受け入れられない場合に「自尊心が傷ついた」といい、採点者を攻撃して不正採点を迫る態度が、「感情的」と呼ぶというのがなおきんさんの今回の主張でしょうね。
    なるほど。希望が叶えられないから暴れるだだっ子と同じですね。
    こう考えると、確かにそんな自尊心は「捨てちゃえ、捨てちゃえ、そんなもん。」という感じですね。捨てちゃっても自己肯定する方法はかなりありますもんね。

  • ニモさん、一番ゲットおめでとさま!「撮った写真がイメージと違う」というのはよくありますね。ぼくの場合、そのイメージとのギャップを埋めるためにフォトショップを使います。イラ写で紹介した写真の半分くらい。初心者でもアプリで簡単に操作できるのもありますね。ぜひトライしてみてくださいね。

  • はてなさん、
    「弱い犬ほどよく吠える」なんていうけど、人間しかりです。不機嫌な人に聞くと「何を言われても自分が責められているような気分になる」なんてことを言ってました。弱さを克服するのは自分への信頼。自分にうそをつかないところからコツコツと積み上げるものですね。

  • Alinamin2011さん、おっしゃる通りだと思います。「自分が思ってる以上に他人からの評価が低い」というのはありがち。もともと自己ヒイキなのが人間ですから。でもそれは自尊心とは違うもの。「誰からも好かれたい」と自身を曲げたりぶれたりするところに自尊心は育たないものですね。

  • うーん、考えさせられる記事ですね。あの頃、私は自尊心のカケラも無い状態だったから、損をしてたのかも。どうしたら、そういったものを自分の中にもてるんだろう、って悩むこともありましたっけ。なおきんさんは、そんな私とあの超巨大会社のドイツ支社の「自尊心の塊」のような連中との間で困っていましたね。私の言動に「ウッシッシ、よく言ってくれた」みたいな楽しみ方をしてた場面も少なからずあったかもですが、色々とお世話になりました。今でも、あの頃のことを思い出すことはあります。面白かったでしょね、少なくとも。今は極たまに会うくらいしか接点がなくなりましたが、最後に逢ったとのは例の超弩級値段の超有名(なおきんさんは知らんかったけど)日本料理店で昼飯を食べたときでしたっけね。多分、お互いに昼飯とは言わず、「1回の食事」としては、「それまでも」また「これからも」払ったことがないし、払うこともないだろうな感じの値段でしたね。私は値段は事前に知ってましたけど … 「だから人生は面白い」てな感じでしょうか。でも、「そこで食べた」「伝説的な料理人のあの人とだべった」ことが無形な財産ですよ。私はいつかまたあそこに行きたいと思っています、次は夜ですね。次回は奢ってあげますから一緒にまた行きましょう、2人じゃないと予約取れませんからね。

  • 昔の同僚さん、ひー!抜けてました。ごめんなさい。あれからもう16年くらい経つんですね。確かにぼくが言いたいことを代弁してもらったような気もするし、後始末がたいへんだったような気もします。あれも財産ですね。昼飯一人三万円はなかなか忘れられない思い出です。財産かとい割れれば、そんな気もしま・・せん!まあおごってもらえるなら拒否はしませんが・・

  • コメント返しありがとう。3万ではなく5万でしたよ。あそこは5万からなんです、昼も晩も。そして2人でないと予約できないし、一見さんお断りだから、当時紹介者も居なくて親父さんを納得させるキッカケは私の誠意溢れる電話だったかもですね(笑)。

  • 昔の同僚さん、あれ5万円でしたっけ!ひー。こないだ地上38階の皇居が見下ろせるフレンチレストランで、コース料理を4人で食べて3万円しませんでした。

  • 昔の同僚さん、あれ5万円でしたっけ!ひー。こないだ地上38階の皇居が見下ろせるフレンチレストランで、コース料理を4人で食べて3万円しませんでした。

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    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。