どうして韓国は従軍慰安婦問題をなんども蒸し返してくるの?

f:id:naokin_tokyo:20141015210240g:plain

 

韓国人が強い反日感情をもつことは世界的にも有名だ。
あんなに反感が強いんだから日本はよっぽど悪いことをしたんだろう、と認識されている。それは日本国内で罪悪感を持つ理由となる。だから過去を反省して・・みたいな世論もある。1910年の「韓国併合」と、1592年の「文禄の役」。教育の場では、いかに日本人が朝鮮半島でひどいことをしたかを教える。

だが韓国が歴史上もっとも大きな被害を受けたのは13世紀モンゴル来襲によるものだ。1231年から約40年間、計6回もの侵略を受け、人命も財産も奪われ国土は荒廃した。モンゴル帝国の直轄領として、その後は80年間にわたる支配を受けもした。これ以上酷い仕打ちもないと思うが、かといっていまの韓国人にモンゴルやモンゴル人を恨んでいる人はいない。少なくとも賠償しろだの1000年恨むだの声は聞こえてこない。

時がたてば記憶は薄れ、語り継ぐ人も減ってくる。そういうものだ。なぜか日本に対してだけはそうじゃない。時が経てば経つほど反日感情が強くなる。戦後間もないころの反日感情が、いまじゃ牧歌的に思えてくるほどに。

韓国には反日を訴える市民団体が多く存在する。
日帝強制連行韓国生存者教会」、「全国日帝被害者連合会」、「対日抗争期被害者全国連合会」など、名前もさすがにもっともらしい。ある日そんな市民団体の職員が老人を訪ねる。「もしやあなたは日本統治期に軍や企業に徴用されてませんでしたか?」と。老人は「そうだ」と答える。職員は「私たちは日本政府を相手に裁判を起こします。我々が勝訴した場合、被害者には賠償金が支払われます。そこで」と説明し、「あなたにもその権利があります」と告げる。事情がのみこめない老人に、その場で新聞記事の切り抜きなどを見せ、「ほら、ここに我々の団体名が載ってます。ちっとも反省しない日本に、被害者に代わって過去の清算をさせる活動をしているのです。」と説明。切り抜かれた新聞記事の中には、「アジアの人にお詫びをし、個人補償をしなければ・・」といった日本の政治家の発言もある。日本の新聞が報じた記事もある。新聞に載るくらいだから嘘ではないだろう。日本人自ら非を認めているようだし、勝訴するのは確実なのではないか、と老人は思う。「で、勝てばいくらもらえるのですか?」と聞けば、200万円という答え。たなぼたにしてはけっこうな額だ。だがもらうためには年会費として9千円がかかるという。200万円もらえるのな安いもんだと老人は考え、支払いに同意する。市民団体にはあやしげな弁護士も寄ってくる。入れ知恵あって信憑性も増す。

 

f:id:naokin_tokyo:20141015210222g:plain

 

実際に起訴をする団体もまれにある。だがそう簡単に勝訴などしない。日本政府の見解は賠償問題は日韓基本条約で解決済み。だがかまわず韓国メディアは「日本政府は謝罪をし償わなければならない」とくりかえす。条約の当事者である韓国政府もだ。市民団体はメディア関係者お誘いあわせの上、日本大使館の前でデモをする。票が欲しい議員先生もやってきて一緒になって声を上げる。そのように1年を過ごしたあと、市民団体の職員はふたたび老人を訪ねる。「いよいよ起訴の準備です。裁判にはお金も弁護士料金もかかります。」と年会費をとりたてる。老人の生活は楽じゃない。それでも200万円がもらえるのならと、生活費の中から年会費を払う。これが全国いたるところで、なんども繰り返される。

そんな市民団体の代表者が、とある新聞記者を嫁婿にもらった。嫁婿である記者は、例の吉田清二のホラ話を紙上で紹介した。「従軍慰安婦」という名が世に出回る瞬間だ。他紙も追従した。国会でも大騒ぎとなり、社会問題になった。国連にも報告され、国際問題に発展した。それまで被害対象は徴用された労働者や徴兵された兵士であったが、これに「従軍慰安婦」が加わった。戦後40年以上忘れていたが、何かの拍子に急に思い出したのかもしれない。あちこちで被害者を名乗る女性が現れ、かつぎだされた。ネタに窮していた市民団体はこれぞとばかり飛びついた。いや順番が逆かもしれない。まいたタネが実を結んだというわけだ。市民団体の訪問先に「もと慰安婦」が加わった。「あなたにも賠償金をもらえる資格があります」と。それまで韓国で「慰安婦問題」といえば在韓米軍慰安婦のことで、訴える相手はやりづらい韓国政府だった。相手が日本政府ならやりやすい。国内の反日感情が利用できるし、日本の市民団体やマスコミも加勢してくれる。動かなければ国際世論に訴えて圧力をかけてやればいい。

 

f:id:naokin_tokyo:20141015215757j:plain
▲ ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像でのパフォーマンス

市民団体の運営は老人たちの年会費だけではない。募金もまた、大事な収入源である。募金を集めるためには国民の反日感情が必要だが、それには事欠かない。老人たちをひっぱり出し、国民の前で涙ながらに窮状を訴えるパフォーマンス。韓国名物の「泣き女」も活躍した。老人たちも賠償金を得ようと必死なのだ。だが何十年も昔のこと。さすがに記憶ちがいもある。そもそもなかったことをあったかのように言わねばならないのだ。それには用意されたシナリオ通りに話せばいいのだが、たまたま記憶に残る本当のことを話してしまい、つじつまが合わなくなったりもする。河野談話のもとになった証言も矛盾だらけだった。だが韓国当局に「これを最後にするから」と押し切られ、ありもしない「強制性」を日本政府は認めてしまった。

河野談話は韓国側、市民団体側をして大いに勇気づけた。「ほらみろやっぱりあったじゃないか」と言いがかりにすぎなかった従軍慰安婦の強制連行の信憑性に火が灯る。火は日本憎しの国民感情に燃え移り、わだかまりが募金となって市民団体に集まっていく。日本の市民団体の援護も大きい。元弁護士の福島瑞穂議員あたりがそうである。加害者としての非を認めろと日本政府に詰め寄り、教科書を書き換えさせ、日本の修学旅行生を韓国に行かせる。元慰安婦に会わせるためだ。不思議なことに修学旅行先が韓国ならば、県から補助金がでる。

 

日本統治時代を知る老人たちは減る。これにともない市民団体は収益の源泉を失い、なくなるのが自然だが、そうはならないのが韓国である。賠償請求の権利は被害者の家族や子孫にもあるとされた。市民団体は延命し、これから何十年、終わりのない活動を続けることだろう。

 

韓国人が持つ反日感情は歴史といった過去の遺産によるものではない。いまなお次々と反日感情を生産、維持していく社会的構造がそうさせる。たとえばその主体者はこうした市民団体である。または政治家や、反日に有利になるよう作り変えられる法律である。日本統治時代を知る人たちが減れば減るほど、反日感情が高まるのも皮肉なものだ。史実に基づく反日感情ならば、逆に経年劣化するのが自然である。つまりは体験者が減るほど、ついたウソがばれにくくなると考えるからだろう。そのようにして自分たちの正当性を示そうとすればするほど、相対的に日本がより邪悪でなければならない。ディスカウントジャパン、ネガティブキャンペーンは自分たちの正当性のために必要なのだ。広く世界に反日感情を植えつけよう!それで世界の地図から「日本海」を「東海」に書き換え、竹島実効支配を認めさせ、アメリカ大陸に慰安婦像をたてる。フランスの国際漫画際に従軍慰安婦の漫画を展示し、タイムズスクエアに性奴隷の広告を出す。

 

だが世界が認めるのは、そんな韓国の異常さである。「日本がよっぽど悪いことをしたんだろう」という認識も、それで薄まるかもしれない。

3 件のコメント

  • 文字通り、悪徳を振りまく悪の秘密結社ですな。そうか。ショッカーは朝鮮半島にあったというわけだ。
    ゾル大佐や地獄大使が怪人を送り込んでくる。その下っ端に戦闘員。そういえば、ショッカーに催眠術をかけられた一般市民が悪事を働くとき、おやっさんはコロっと騙され、本郷も滝も手こずっていたような。
    日本はひどいことをしたという催眠術にかかった日本人には手こずりますよね。
    いでよ、仮面ライダー!
    日本の平和を守るため。

  • Alinamin2011さん、一番ゲットおめでとさまです!「悪徳を振りまく悪の秘密結社・・」<ふふふ、あの頃の子どもたちはこのセリフ、空で言えた気がしますね。ヒーローたちにぜひ拉致被害者を救い出して欲しかったです。そういえば、朝日新聞とか社会党とか「拉致なんてあるわけがない」なんていってましたね。

  • 嘘も突き通せば真実になる
    なんて表現もありますが、これは最も最悪の例ですよね。
    嘘をついているうちに自分の脳さえも騙して本当にあったことのように思えてくるのでしょうか。
    それにしても、テレビの画面を通すと、嘘ついてるかどうか本当によくわかる。
    あのテレビの枠があるだけで、客観的に見られるからでしょうか?
    前々から感じていることです。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    ABOUTこの記事をかいた人

    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。