オランダでは日本人が労働ビザなしで働ける 理由は明治時代、不平等条約撤廃後の日蘭条約が生きていたから

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明治時代の条約がまだ生きていた!?

「オランダ」と聞いて、風車やハウステンボスしか思いつかない人も、江戸時代の出島といわれれば「そういえば学校で習った」と思い出すかもしれない。

江戸時代、鎖国中はヨーロッパでは唯一オランダと通商をしていた日本。幕末にペリー来航を機に日米和親条約が結ばれ、2年後にはオランダとも和親条約が結ばれている(日蘭和親条約)。さらに2年後は日蘭修好通商条約も結ばれ、それまでの長崎に加え、横浜、函館、神戸でも通商が行われるようになった。

オランダは当時列強の一国で、インドネシアをはじめ多くの植民地を持っていた。パワーポリティクスで負ける日本は不平等条約を余儀なくされ、これの撤廃が明治政府の長年の悲願となった。折しも日露戦争が勃発し、大方の予想を裏切って日本が勝利。これに後押しされ、1911年、ようやく不平等条約の撤廃がおこなわれた(条約改正)。教科書でも太字で書かれている。でも意外と知られていないのが翌年の1912年、オランダとの間に結ばれた日蘭通商航海条約(原本:外務省資料)の存在である。

当事者にとっては涙ぐましい努力の末の条約であった。だがその後、世界は激動の時代を迎える。第一次大戦がおこり、ヨーロッパが凋落しアメリカが台頭、ブロック経済がしかれ、ついには第二次大戦が起こった。オランダは戦勝国で日本は敗戦国、戦後の怒涛のような世界経済の発展の中で、人々はそんな条約があったことすらも忘れていた。

だが条約はひっそりと生きていた。

きっかけは2012年、オランダで無許可で働いていたと日本人宮大工と雇い主を相手取り、労働局が罰金6万ユーロを請求したことだった。日本円にして約800万円。不法就労にしてはちょっとした額だ。裁判となり、被告側の証言に立った弁護士は「オランダと日本は日蘭通商航海条約が結ばれていて、これはまだ有効だ」と主張した。「日蘭通商航海条約って?」 その場にいた人は、なにごとかと思ったことだろう。

条約には、互いの国民が相手国で労働許可なく就労したり、事業をする特権を認めるという項目があった。弁護士はここに目をつけた。

もともと条項ではオランダ人が日本で自由に商売できるよう配慮されたのだろう。だが不平等条約撤廃直後とあっては、日本人にも同様の権利を保障せねばならない。日本人がオランダで事業を起こしたり、就労することもおりこまれた。 なにしろ100年前のことだし、遠いし、大挙して日本人が働きに来ることもないだろう。そう考えられたかもしれない。

とはいえ、なんとも自由な条項である。100年前よりいまのほうがずっと自由だとは思うけれど、互いの地で許可なく働ける二国間協定など、ちょっと考えにくい。

裁判では被告側が勝利。条約はいまも有効であるとされた。日本人ならばオランダで労働許可(労働ビザ)なく働けるし、個人事業を起こしてもよいとされた瞬間である。

こうして1912年の条約が2012年に有効と認められ、2015年には条約復活と正式に認定された(実は1953年にもひっそりと条約復活されていた)。それまで日本人にも当然のように必要だった労働許可は、これで事実上撤廃された。

つくづくオランダ人の懐の深さにおどろかされるが、背景には在オランダ日本企業の貢献や、オランダで暮らす日本人たちのおこないも、きっと考慮されたはずだ。

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オランダは暮らしやすく働きやすい場所

国境からそれほど離れていないデュッセルドルフで長く暮していたこともあり、オランダには数えきれないほど訪れた。両国には物価差があり、ドイツからすればオランダの嗜好品や生鮮品がとても安く感じられた。

それでオランダの町(フェンロ)まで、車を走らせ、まとめ買いするのが週末のイベントであった。ドイツマルクでモノが買えたし、ドイツ人を狙った品ぞろえでもあった。国境をまたいだという意識も希薄である。車でアウトバーンをぼんやり走っていると、天然肥料の香ばしいにおいが車内に入りこんでくる。それで「ああ、オランダに入ったんだな」と気づくのだった。

アムステルダムは洗練された大都会のわりに、どこか地方都市のようなのんびりとした部分がある。人々は親切で世話好き。むかしのネスカフェのCMで「アムステルダムの朝は早い」というのがあったが、セリフどおり、人々は朝から自転車のペダルをこぎ、通勤ラッシュも早い。運河に反射する朝の光は本当にきれいで、風さえなければいつまでも佇んでいたいと思わせる。

ドイツ人も労働時間が短いが、オランダ人はその上を行く。朝早くから仕事に取りかかり、午後過ぎには終える。いったん自宅に戻り、あらためて食事に出かけたり、映画を観に出かける。さすがはワークライフバランス先進国、それを前提に生活が成り立っている。先進国のわりに生活費が安く抑えられるのだ。

九州くらいの土地に1700万人が住む。ほとんどが平野なので、かなりゆったりした広さがある。さえぎる山もないから風が強く、気候が変わりやすい。雲がスペクタクル映画のように、目まぐるしく流れていく。かつてはこの風で麦を製粉し、いまじゃ発電の要である。

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仕事はものすごくやりやすかった。
規制が少なく、ビジネスではことごとく契約を守る。それは100年前の条約が生きていたことからもうかがえるとおり。かつては宗主国もした大国であり、いまは貿易立国(輸出依存度80%!ちなみに日本は11%)というポジションということもあって、国際性も実に豊かでもある。街を歩く人たちは見た目はアフリカ人やアジア人であっても、しっかりオランダ人だったりする。異文化や異民族であっても、排他せず尊重し、受けいれる基礎がこの国にはある。だってお互いさまでしょ?といったかんじだ。

ほとんどのひとは英国人よりもわかりやすい英語を話す。ちなみに、オランダ語はちょうど英語とドイツ語のあいのこ。英語でありがとうはサンキュー、ドイツ語はダンケ。オランダ語はダンキューである。

 

オランダなら個人事業主になれる

ぼく自身、かつてオランダで働くことを真剣に考えたこともあった。起業するのにすごくいい環境と思ったから。これから世界で拡大するであろうシェアエコノミーの概念も成熟していて、事実「レゴのレンタル事業のPley」「農家が発電する電力の販売会社Vandebron」といったベンチャーが次々に立ち上がり、話題になっている。

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あなたがもし世界に出る足場を探しているのなら、オランダは有力候補のひとつになりえるだろう。「アジアよりも欧米」を志向する人は意外と多い。とはいえオランダで雇い手なんていないよと思うのなら、個人事業主という手もある。それで滞在許可がおりるから、オランダで長く暮らすこともできる。5年以上オランダで暮らせば、永住権の申請だってできるのだ。「アムステルダムでたこ焼き屋でもやるかな」と思ったあなた、それもアリだ。プロテスタントの人たちに蛸はウケないが、トッピング素材なら探せば他にいくらでもある。生地はマッシュポテトがオランダ人の好みかもしれない(もはやたこ焼きの原型はとどめていないけど)。彼らはアツアツのフライドポテトやコロッケをほおばりながら街歩きしていたりする。

それにしてもこの日蘭通商航海条約。おかげでへんな日本人がオランダにあふれ、やんなきゃよかったと後悔条約に貶めないよう、オランダに住むなら心して暮らしたい。

 

なおきん
むかし「オランダといえばフランダースの犬ですよね」などと言って、「バカだな!」と先輩に笑われたことがありました。「オランダじゃなくて、フランスだよ!」と。実際のフランダースは実はベルギーの地方、いまのアントワープが舞台です。けっきょく先輩もバカでした。きっと韻がフランスっぽかったんでしょうね。

 

 

4 件のコメント

  • なおきんさん、ご無沙汰してました!今年もよろしくお願いします。
    最近、記事の更新が頻繁なのでもしや個人事業主(独立、起業!?)になったのでは?と、勝手に思ってしまいました。(違ってましたら、失礼しました)
    先週ぐらいからBSNHKで、オランダを鉄道で旅する番組をみていたのでそ〜なんだ!と感心しながら読ませていただきました。自然が多く、街並みも綺麗。移住できたら、素敵でしょうね。腱鞘炎の、私にたこ焼きは焼けませんが。。。(^∇^)これからも、楽しく読ませていただきます!!

    • さえぴーさん、ごぶさたしてます!
      今年から心を入れ替え、更新頻度を上げています。ぜひひきつづきご愛好のほど!まあ仕事をしながらですから、睡眠時間が減っちゃうんですけど。九州くらいの小さな国ですが見どころが多く、ゆったりしてます。いっぽうアムステルダムは土地がすごく高かった時代が長かったせいか、長細いビルが密集して建ってます。アンネの隠れ家だった部屋もそんな一角にあります。ぜひ機会あれば!

  • なおきんさん、こんばんは。
    かなり前ですが、冬季オリンピック スピードスケートのユニホームに、可愛いチューリップがプリントされていて、こんなユニホームを考えるオランダという国にすごく興味を持ちました。
    私の勝手な解釈では、洗練さと素朴さが共存しているようなイメージです。
    通商条約の事、初めて知りました。オランダに訪れる事があれば、心したいと思います。

    • bossaさん、こんにちは!
      コメント返しが遅くなってすみませんでした。チューリップがプリントされたスケートのユニフォーム、なんだか素敵ですね。相手を油断させて勝ってしまいそうです。オランダ訪問時には敬意を払い、チューリップのアップリケを胸に貼り、胸を張ってさっそうと街を歩きたいですね。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。