
久しぶりの更新。
2ヶ月近く記事をアップしていなかったことで、ずいぶんと心配された。まして前の記事が「自殺したくなる曲」についてであったことで、余計な心配までさせたようで「生きてますか?」的なメッセージをたくさんいただくことになった。おさわがせして申し訳ないです。このとおりピンピンしています。むしろ、しすぎて困るくらいに。
もしブログに「拒食症」というものがあるなら、ぼくが陥っていたのはそれである。なんどもキーボードの前に向かい、いくつか記事も完成していた。だのにどうしてもその記事をアップすることができない。12年もやっていて、こんなことは初めてである。過去にブログを停止したことはあった。あれは意思を持ってやめていた。今回のは違う。辞めたいとも止めようとも思わない。6つくらい記事を書いた。イラストも描いた。写真も挿入した。でもアップできない。不思議である。
ただ同時にこの1〜2ヶ月、新しい出会いが楽しくなかった。仕事のせいもあったかもしれない。いずれにしても発見だったのは、そういうときブログの記事もまた、更新したくなくなってしまうのだ。
話は変わるが、ぼくは占いの類をほとんど信じない。
占いというものに関心がないし、大きなお世話なので距離を置いている。そんなぼくにだって過去にたった一度だけ、占い師にみてもらったことがある。まだぼくが19のとき、ドイツに渡る前の年だった。場所は名古屋の栄だったと記憶する。
「君の人生はある人物と出会うことで開かれます」
それっぽい初老の占い師は、ぼくの広げた手のひらを見ながらそういった。他にも何か言ったかもしれないが、覚えているのはそれだけだ。ぼくは神妙に占い師の言葉を受け止め、「ある人物」が現れるのを待つことにした。占い師はぼくにだけそう告げたのかもしれないし、どの客にも同じことを言ってるだけなのかもしれない。とにかくぼくは真に受け、以来、新しくだれかと出会うたびに、このひとこそ「ある人物」かもしれないと思うようになった。自分の人生を開いてくれるのだ、と。
「ある人物」であったなら、ないがしろにはできない。おかげでぼくはドイツに渡ってからも、タクシーの運転手や肉屋のマダム、コインランドリーで小銭をせびる浮浪者ですら、意識して大切にしようとした。大切にしようとすればするほど、目の前の人が好ましく思えてくるのも発見だった。それまでのぼくはどちらかといえば人間嫌いで、他人との接触を苦手としていた。クラスでも目立たない男子のひとりだったのだ。少なからず、このことをきっかけにぼくは変わった。
つまりこれが「一期一会」といえるかもしれない。
この出会いが1回きりだったとしても、だとすればなおのこと大事なのではないか。心持ちひとつで相手の印象は変わるものである。相手への印象が良くなればそれはすべからく自分にも返ってくる。ちゃんと影響するのだ。
あの占い師の言ったことは本当だった。
もう何十年も忘れていたこのことをふと思い出したのは、意味があったのだろう。ようやくこうして記事をアップすることができたことをも含めて。
ご心配おかけしてすみませんでした。
今後とも「イラ写」をよろしくお願いします。
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