旅をするため写真を撮ろう

 

美しいものを写真に撮るのが好きで、いつもそのことばかりを考えている。そうかな?ほんとうは撮ることばかりを考えていて美しいかどうかは二の次かもしれない。ほんとうは美しくなくても写真にすることで美しくなると信じているのかしれない。ある種の育成ゲームのように。またはだれかの化粧のように。

おおむかし。おかんは景色や花ばかりを撮ろうとするおとんに「たまには自分も撮れ」と迫ったのだそうだ。ぼくを産んでからは「しっかり子の成長も撮れ」とすごんだのだそうだ。当時のアルバムを見させてもらうと、そんな母の怒りを計り知ることができる。アルバムにある80パーセントは風景と花だった。残りの10%が車やバイク、飛行機などの乗りもので、最後の10%にぼくやおかんが写っていた。よそ行きの服を着たぼくとおかんの写真。おとんもまた、美しいものを写真に撮るのが好きだったようだ。

おとんが撮ったおかんとぼくの写真(厳島神社、広島)

 

 

世界はめぐる。人は生きる・・

ぼくの答えは旅であった。生きているあいだにできるだけ旅をする。旅にカメラをもちこんだのはとうぜんだ。世界を旅して回りたいと考えたのは10代の後半だったが、あのころカメラをもち歩くには、お金と勇気が必要だった。いまとはぜんぜんちがう。今はカメラをもち歩かないほうが勇気がいる。スマホなしで生きていける人は年々へっている。

ぼくは生意気なうえ身のほど知らずなので、ガイドブックで紹介されているのとおなじ場所や建物を撮るのは好むところではない。パリではエッフェル塔より手前の公園でベンチを撮ってるし、バッキンガム宮殿そのものより、衛兵の帽子にとまる蝶を撮ろうとする。そこに住む人たちがふだんなにを見て過ごしているかに興味がある。それはとても観光客がにわかにやってきて写真におさめるようなものではない。おそらくは信号機やドアノブや道に落ちたアイスクリームや建物の補修工事のようすなどである。スーパーのじゃがいもの値札であり、ゴミ捨て場に据えられたストライキの立て看板である。

撮るべきものじゃない被写体にカメラを向けるぼくをふしぎそうに通りすぎる人たちを見て、ぼくもふしぎに思う。自分はいったいこんなところでなにをしているのだ?と。だけどあとで写真を見るとこうした謎が解けることもある。解けないこともある。撮ったあとになってみないとわからない。

 

屋根にとまる猫(リガ、ラトビア)

教会の屋根(エレバン、アルメニア)

テキーラの空き瓶(トリニダ、キューバ)

 

 

石畳(タリン、エストニア)

 

古代象形文字(ルクソール、エジプト)

 

ソンテウ乗合タクシー(チェンマイ、タイ)

 

ソール·ライターが撮るような写真を自分も撮りたいと思う。1950年代のニューヨークは世界一美しいと思わせるにじゅうぶんな作品。だが彼はなにひとつ観光名所は撮っていない。ショーウインドウに映る人を撮り、雨に濡れる傘を撮る。おそらく1950年代のニューヨークは世界一美しい街ではなかったし、濡れた傘などだれも興味をもたない。ありふれた風景など、彼の写真でしか、美しくない。そういう写真が自分も撮れたならと思う。世界を旅し、そういう写真を撮りまわりたいと思う。

写真はどこか「記録するためのもの」と割り切らなくちゃならないところがある。カメラが普及する前の写実画のように。そんな時代だからこそ、絵を描くように写真が撮れるとうれしく思う。何時間もかかる絵画をわずか数秒で完成させられる写真はすばらしいが後ろめたい。それゆえ、記録する目的でない写真を撮って罪滅ぼしをしたいのだ、と自己分析してみる。

 

小麦粉を運ぶ人(コンスタンティーヌ、アルジェリア)

 

猿と坊主(アンコールワット、カンボジア)

 

ドナウ川の親子(ブダペスト、ハンガリー)

 

手を洗う人(バクー、アゼルバイジャン)

 

ソール·ライターは「自分は写真家ではなく画家だ」とインタビューに答えていた。事実、彼は和紙に水彩で抽象画を描いていた。写真のほうが人気があっただけなのだ。それを不服に思う彼の気持ちはよくわかる。彼は自分の描く絵を写真に撮っていたのだろう。絵のように美しい彼の写真は、実のところ絵だったのだ。

 

民家の屋根瓦(ホイアン、ベトナム)

 

島から見たダカール(ダカール、セネガル)

 

旅の写真が面白いのは、たとえおなじバナナでもタイとポーランドではまるでちがうものに写ることを知ってしまったからだ。定点観測という言葉があるが、バナナを定点とした旅も楽しいと思う。おなじ理由で人もデニムも寿司やスマホもそれぞれに定点観測できるし、おもしろい。

 

青いカスバ(シャウエン、モロッコ)

 

ツミンダ・サメバ教会(ロシア国旗そば、グルジア)

 

写真を撮りに旅をしよう。

旅をしに写真を撮ろう。あなたでなければ撮れない景色が、いつやってきても大丈夫なようにしていつまでもあなたを待っている。

 

 

3 件のコメント

  • 宮島の親子可愛いですね。昔の写真には素敵なものが多いです。あ、もちろんお父さんの腕前が良かったのですけど(なおきんさん、可愛かったんですね。お母さんも’おかん’なんて呼んではいけないような’マダム’の雰囲気あります。)
    なおきんさんの撮る写真でいつもいいな!って感じるのは、私は風景と人物。天然光や逆光、イフェクトをどうやったらあんなに上手にその瞬間に取れるんだろう、って思います。撮りたい絵がもうすでに決まってるかのようです。以前アップされてた何気なくシャッターを切っただけの街の子供達の写真は、それだけで明るく健康的なイメージありましたし。
    一枚の写真を撮るのにも一苦労してるので羨ましい限りです。綺麗に撮るのは諦めました。いくつか買い込んだトイデジタルとレンズで面白く撮ることに専念するこの頃です(笑)

  • 書き忘れました。ソール・ライターの写真がモダンな絵画として、なおきんさんの人物を据えた風景写真にはストーリーがあります。動的で、生活や人生を物語ってるっていうか生きてる’息’を感じるし、’無言’ていう言葉や会話も聞こえてくる気がしますよ。なお・きんギャラリーがあったらぜひ見たいです。

  • なおきんさんの撮る写真ってほんといいです。世界は、人びとは美しいなぁと思わされます。そうだ、「写真を撮りに旅をしよう」。なおきんさんも再び旅の予定ですか?

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    なおきん

    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを
    めざす。