
最後に記事を書いてからどのくらいになるのだろう?
気づいて愕然、半年ちかくが経っているではないか!
こんにちは、なおきんです。
はやいもので、今年の2月でこのイラ写も13年目となりました。長いね、13年前といえば2005年。あの日、生まれたばかりの子供なら中学生になっているはずだし、スマホもフェイスブックもなかった時代である。いや、正確にいえばあるにはあったが、まったく普及していなかった。スマホはブラックベリーのことだったし、フェイスブックはハーバードなど一部の大学で使われているにすぎなかった。ぼくは香港で起業していて、イラ写は当時「香港イラスト写真日誌」と名付けていた。
目がさめると午前3時、そんな日が一年も続いている。
キッチンに立ちコーヒーを落とすあいだ、顔を洗い、服を着替える。冬はもちろん、夏場だって外は真っ暗だ。軽くストレッチをしてから机につき、仕事をはじめる。2時間か3時間、頭は冴え、すごくはかどる。2年前、サラリーマンを卒業し、いまはひとりで仕事をする身となった。中国や東南アジアから独自のルートで商品を買い付け、日本国内の販売店に卸す、そんな仕事もやっている。やりたくて仕方がない、という仕事ではないけれど、やってみるとなかなかおもしろい。取り扱うのは旅行で使えるバッグや雑貨、パソコンやスマホの周辺機器である。自分が客だったら欲しがるだろうな、そういう商品ばかりだ。ITデバイスものはサポートが手に余るからやめておいた。手離れの良い商品がお互いのためだ。組織へのソンタクはない。自分で決めた裁量だけでやっている。
夜明け前にひと仕事を終え、少し眠ることもある。だが、たっぷり飲んだコーヒーのせいで妨げられるのもしばしばだ。シャワーを浴び、犬を散歩に連れ、そのまま外販にでかける。ラッシュアワーを避け、なじみの客にサンプルを届ける。これは必ずハンドキャリーするのが自分ルールだ。しっかり客と雑談を交えてリサーチする。時代はいかに変わろうとも、互いに信頼できるか顔をつきあわせて値踏みしておく。商社マン時代に叩き込んだルールであり、欠かせないプロセスである。それからできるだけ街を歩く。そこで人がなにを手にし、肩にかついでいるかを眺める。なにを食べ、どう動くかも。いかなるバッグも目的に合っていなければただのお荷物。意外と参考になるのは訪日外国人観光客である。彼らが手にしているものは、条件が合えば日本人だって欲しくなるものだ。この国はたいていのものは手に入るが、たいていのものはすでにだれかがもっているものである。

もちろん、旅に出かけないわけにいかない。
留まる水は悪い水になる。イスラムの教えにそうあるけれど、まちがっていない。ひとつの場所に留まらず、絶えず流れるように生きる。ついでにいえば、思うところがあって所有していた不動産をすべて処分することにした。所有というものが自分のスタイルじゃないことに、ようやく気付いたというべきか。旅先では写真ばかり撮っている。食べたり、宿を探すより、写真を撮る。透明人間のように存在を消し、あたりを傍観する。撮った写真はWEBのどこかに飾るが、いずれキンドルなどの電子本で配布できればと思う。毎月1冊、電子出版し、年に一度は紙でも出すというのが理想である。できれば無料にしたいけど、そうもいかないかもしれない。やってみないとわからない。ところどころイラストも挿したい。見た人がそこへ行きたくなるような写真を撮り、影響を与えられる写真こそに価値がある。また、そこに価値があったとしても、ことごとく金に替えるのはフェアじゃない。今後ますます等価交換は金銭だけではなくなる。
午前3時という、中途半端な時間は小腹が減る。
コーヒーのほかに、無性にジャンクフートが食べたくなることもある。そんなときはペヤングが登場する。この ひとをくったような名前の由来は「ペア」と「ヤング」を合わせたものだ。若いカップルがひとつのやきそばを分け合って食べる。そんなイメージ。まさに元祖「一杯のかけそば」なのである。ほかよりちょっと多めなのはそんな理由だ。発売は1975年、広島カープが初優勝した年で、小学生だったぼくは友だちと試合を見ながらペヤングを分けあった。注いだお湯を、3分後に捨てる。シンクがそのたびにベコッと鳴る。そんな調理法で、これっぽちも焼いてない即席めんを40年以上「焼きそば」と呼ばせているペヤングは、あまりに衝撃的すぎて、いまも夜明け前の胃袋を刺激してやまないのだった。

以上、イラ写再開ついでに近況報告でした。
13年目に突入しました。こんごともよしなに。
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