
高級チョコの先駆けでもあるGODIVA(ゴディバ)のチョコレート。
見なれたロゴをあらためてみれば、馬にまたがる全裸の女性が含まれていることに気づく。なんだろう?と思う。なにやらいわくつきのような気もしてくる。「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」のマリーアントワネットか?と察する人も中にはいるかもしれない。
実はこの女性、英国中世にとある領主だったレオフリックの妻、レディ・ゴダイヴァである。メーカーからの説明があったかどうかは知らないが、GODIVAの名は彼女からいただいたことは容易に察しがつく。
レオフリック侯は、民にとってあまり良い領主ではなかった。圧政を敷き、重税をとりたて、長く民を苦しめていた。レディ・ゴダイヴァはそんな夫の圧政を辞めさせようと腐心。折れた夫は妻に条件を出す。「民を救いたければ素裸の姿で町を横断せよ」と。

GODIVAのロゴ
民への重税をとくのに、なんで妻をさらしものにするのか? その倒錯した性癖に呆れるが、レディ・ゴダイヴァはその理不尽な要求をのむのだった。
事情を知った町民たちは、自分たちのために素裸をさらす慈悲深い夫人を哀れに思い、その姿を決して見ないよう取り決めをした。絶対に見るんじゃない!と。やがてその日が来て、馬にまたがった素裸で町を練り歩く哀れなレディ・ゴダイヴァ。町民たちはきちんと取り決めを守り、その姿を見ないようにした。ただ、ひとりの男を除いては。
その男、名をトムという。
彼は取り決めを破り、見てしまったのだ。
英語で覗き見する人のことを「Peeping Tom(ピーピングトム=覗き屋トム)」と呼ばれるが、この事件がその由来である。
伝説では、トムはその後町民によって殺されたとも、目を潰されたとも言われる。スケベ心が災いしたと言えなくもないが、かといってそれを理由に、目を潰したり殺してもかまわないとする群集心理もどうかしている。だいいち、悪いのは悪徳領主。にもかかわらずトムは不名誉なレッテルを貼られ、後世の人たちにまで記憶される。あんまりではないか。
だから擁護のひとつもしたくなるのが自然だ。
夫人の素裸を自分だけこっそり見たという不謹慎を咎められ、処刑されたトム。それってただのパパラッチだったのか? もし彼が、他者や後世にその事件のあらましを伝えようと覗いたのならば、そこにジャーナリズム精神の片鱗をみることもできる。当事者でなく、あの事件を客観的に語れるのはトムしかいなかったのだ。積極的に傍観者であろうとし、ゆえに結果的に失明したり命を落とすことになるトムの勇姿は、いまのマスコミ関係者に欠けて久しい何かを感じずにはいられない。
ぼくは趣味で写真を撮る。
とくに見知らぬ場所や人々を撮るのが好きだ。ジャーナリズムにはなんの関心もないが、写真を撮ることは「覗き」と同義ではないか?と思うことがある。とくに他者があまり知らないであろう場所やシーンを撮るときは、自分が皆に代わって見ておこうという気になる。トムもまた同じではなかったか。素裸で馬にまたがるレディ・ゴダイヴァは後に絵に描かれ、後世に残された。おかげでいまもこうして観ることができる。
だがその容姿が正しいかどうかは、トムしか証明できないのである。

ジョン・コリア作「ゴダイヴァ夫人」。1898年頃の作品
民衆を救った英雄として名門チョコのロゴにもなったレディ・ゴダイヴァ。
片や、その姿を覗き見したことで処刑され、いまなお「覗きや」という蔑称で呼ばれ続けるトム、実に対照的である。
後世はやがて、世界のいたるところでピーピング・トムが氾濫するに至った。あらゆるマスコミがピーピング・トムだし、SNSなんてその宝庫である。知らせれば知らせるほど晒される。スノーデンによれば、各国政府もまた国民のピーピング・トムである。
かの英国中世の町では、重税を夫人の全裸で辞めさせることができた。いっぽう、現代の重税大国、日本では本来ピーピングトムの覇者である新聞各紙が「消費増税をやむなし」と報じる。その上で「新聞は生活必需品だから軽減税率が適用されるべきだ」と書く。
新聞がなくても困らないが、ジャーナリズム精神のかけらもないのには困る。消費増税がいかに経済成長の足を引っぱるかは、過去に見てきたとおりである。施行されればGODIVAチョコにも増税は避けがたいが、ならば夫人を偲び、免税店で買おうと思う。
なお個人的には、GODIVAはチョコよりアイスが好みです。
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