ローカル食堂がグローバル化でよりローカルになるということ

天ぷらうどんを撮る外国人

おなかが減ったので、通りがかりの古い食堂に入る。
白い暖簾をくぐり、カウンター席に着き、すばやく壁に貼られたお品書きを眺め回す。筆で書かれた字が読みづらい。結局「親子丼」を選び、注文する。それだけ楷書で書かれていたからだ。出されたお茶を飲み、埃っぽい店内を見まわす。ピンクの公衆電話があり、白い招き猫がある。おどろいた。外国人もいる。旅行客らしき白人グループが、テーブルの天ぷらうどんの写真を撮っている。指で麺を掴んでポーズもとっていた。クールというよりシュールな光景である。

彼らがぐうぜん見つけて入った店でないことは明らかだ。日本人歴半世紀以上のオヤジだって入るのに躊躇する店がまえである。ガイドブックに載っているとは思えないから、個人のブログかインスタグラムで知ったのだろう。彼らははしゃぎ、「テムプゥーラ!」などとエビの尾を指でつまんで口に運んでいる。微笑ましくそれを眺める店主は、いくつかぼくより若いように見えた。1代目なら、きっと客をどやしつけたに違いない。

そんな光景を目にしながらふと思う。
衣・食・住という人間生活の基本三要素において、グローバル化は行くところまで行った。よほどの辺境でもない限り、どの国の人々もみな同じような服を着て、同じような家に住んでいる。そして同じチェーン店のものを食べている。違いがあるとすれば、国ごとというより気候風土や貧富によるものだろう。いまやそれすら均質化しているようにもみえる。デジタルテクノロジーのなせる技である。ぼくたちは同じプラットフォームで暮らす住民であり、乗客である。

 

デジタル受けする食事の写真

三要素のうち、食についてはいくぶん異質に思う。

ここ数年、あるいは10年ほど前から、食のレシピにいくぶん変化が見られるようになった。全国チェーン店にありがちな「制度化されたレシピ」から、多様かつ土着的な「個別レシピ系」に、お客が戻ってきたように感じられる。例えばこの古い食堂で出されるメニューのように。お世辞にもトレンディとはいえないこんな食堂にも、チャンスが転がり込んでいる。これもデジタルテクノロジーがもたらした成果といえるかもしれない。

誰もが情報発信できるようになり、なんら特別でない人が発信する情報にだれもがアクセスできるようになった。さまざまなコンテンツがネットを彩ることになったが、もっとも投稿が多かったのは食事の写真をアップすることであった。ラーメンを食べればラーメンを、焼肉を食べれば焼肉を。カレーを作ればそれを撮り、頼まれてもないのにレシピまで一緒にアップする。子供の弁当が華やかになったのも、お母さんがそれを写真に撮ってアップするようになったからだ。ブログやクックパッド。ツイッターにインスタグラム、フェイスブックやラインなど、ついには写真でカロリー計算までできるアプリまである。

思えば、食にはそれを価値づける統一規格はない。原理化されたコードもない。カレーやラーメンに著作権もなければ肖像権もない。オープンで、民主的で、だれもが経験済みで、だれもが次に欲しがるものだ。お店紹介や食事情報がネットで交換されやすいのも、デジタルととても相性がよいからだ。「お前の撮ったエビフライ、コンプライアンス違反だぞ」と訴えられることも、たぶんない。

デジタルに符合しやすい食事の写真はスマホの登場で一気に拡大した。だれもが思いつきだれもがやれることというのは、いっぽうですぐに他の情報に埋もれてしまうことでもある。よほど有名人か特別な人でもない限り「別にあなたが何を食べようがあたしのしったことじゃないわね!」とカンタンに無視される。「それにただのマックのハンバーグじゃないか!」となる。

 

ホンモノ志向がローカル回帰へ

コピーされやすいデジタルコンテンツは、コピーしやすい食事のデジタル情報に手厳しい。だから人目をひくために、独自性は不可欠である。

同じ撮るなら見栄えのするものと、そんな店を選んで入る人たちも増えた。話題のお店が人気があるのは「撮影に値するから」も理由のひとつだ。お店側もがんばって「インスタ映え」する皿の盛りつけをし、話題になりやすいメニューを考える。需給の利害が一致するのは、美味しさと見栄え、それから新しい体験である。既存のチェーン店にはそれが欠けてしまっているのだ。いまさら「制度化されたレシピ」はあまりにたいくつで、同時に窮屈なのである。

これに並行する形でホンモノ志向が強まった。
味、素材、食器、サービス、体験・・・、世界中の人たちがかたっぱしから食事写真をアップしていくうちに、評価もまたされやすくなった。しかも一度も来店したことのない客にダメ出しされもする。よい写真や評価がアップされれば「美味しそうに撮られた写真はやっぱり美味しかった」という体験が共有される。ひとびとは舌が肥えるほどに目も肥えるのだ。

 

 

運ばれてきた親子丼に箸を入れながら、再びテーブル席の外国人客のほうに目をやる。エビの尾っぽをレンゲすくい、それをスマホに撮っている。それのなにが面白いのかさっぱりわからないが、楽しそうでなによりである。埃をかぶった招き猫もどこか誇らしそうだ。このエビの尾の写真を見て、別の外国人がこの店を訪れるのだろうか?疑似体験を確認しようとやってくるのだろうか? だとすればいつかこの壁に、英語や中国語のメニューがはりだされる日がくるかもしれない。

グローバル化で食の均質化は進み、進むほどに食はローカルに回帰する。

親子丼の玉子はもう少しふわふわなのが好みだったが、出汁がきいて旨かった。ぼくは箸を置き、支払いを済ませて店を出る。戸を閉めるまでの一瞬、吉野家の収益が悪化していると、テレビが報じるのが聞こえた。

 

1 個のコメント

  • お久しぶりです。
    空腹にまかせて入ったうどん屋さん、昭和の面影にあふれてますね!
    エビ天ぷらのしっぽ、食べるのかどうか分かんなかったのかも。うちの息子が聞きましたもん。これも食べるのか?って。考えたら、私も知りません(笑)エビの尻尾は残すものか食べるものか。。。

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    なおきん

    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。