誰のためのメディア?

雑誌や新聞には定価がある。
雑誌は500円、新聞は150円というふうに。

けれども、これの売上利益は総利益のほんの20%ほどでしかない。 残りは広告収入によるものだ。 そして広告費こそは、そのメディアがどれだけ世論に影響があるかどうかで相場が決まる。 だから出版社や新聞社は販売部数を上げることで、より多くの広告費を捻出させようとする。 極端なハナシ、タダで配ってでも発行部数を増やせばいいということになる。

これがフリーペーパーのビジネスモデルである。

「これだけの雑誌がタダだなんて・・」
そう思った読者も多いはずだ。感謝した人もいるだろう。 概してフリーペーパーの質は向上した。 紙質や印刷。 全ページ、総天然色なんてのもザラである。 これらはすべて広告費でまかなう。 つまりメディアにとって真のお客さんは広告主である。 読者ではない。 読者が増えても広告主が集まらないメディアは廃刊になっている。 これが現実である。

広告主にとってタブーな記事は一切載せられないどころか、記事の大半はいわゆるタイアップ広告と呼ばれる「ちょうちん記事」で占められていることが多い。 このモデル、まともな人にはわかると思うけど、読者にとってどんなに良いものでも、広告主にとって都合の悪いものは掲載できない。 広告がつけばつくほど、メディアは本質から遠ざかる。
これでは、真のジャーナリズムは育たない。

タダ情報はなにもフリーペーパーだけではない。
民放テレビもラジオもタダである。 WEBもタダである。 情報なんてタダでじゅうぶん、そう思わせるにうんざりするほどのラインアップである。 あふれかえっている。

媒体(メディア)が繁栄していくためには、より多くの読者や視聴者を集めなくてはならない。 他のメディアより、自分ところの部数や視聴率を上げていかなければならない。
どうするか?
ヒントは「幸せのツボ」。
人の不幸につけ込んで、ツボを売るというモデルだ。

「これから何が起こるかわからない」
こうした不安は、大衆をして「何が起きているのか知りたい」という情報ニーズを生み出す。 総じてメディアが好んで使うのは「争い」と「事件」である。 戦争や紛争、芸能人の不仲、暴落、猟奇殺人、政権交代、介護地獄、どんな些細な事件でも大げさにとりあげ、引き伸ばす。 報道番組や新聞を読んでいると往々にして不安になるのはこのためだ。 世界でも有数の平和で裕福なニッポン。 だのになぜか不安。 海外から見えればとても奇妙に見える。 これでいったい、何が不満なのかと。

「物騒な世の中になったわねえ」
マスコミをして庶民にこう言わせればしめたものである。 人を思いのままに動かすのは意外とたやすい。 不安と恐怖。 ヒトラースターリン毛沢東も、こうして大衆を意のままにしたではないか。

お変わりありませんか?

ぼくたちはそんなふうに、親しい人と文を交わす。 つつがなく暮らせることは庶民の願いでもある。 けれどもメディアはそうふるまわない。 社会に変化や不安がなければ情報ニーズは薄れる、存在感をなくす。 だから「今日も何事も無くよかったですね。」「あんな事件、たいしたことないです」などとメディアは決して伝えない。 無事とは「なに事も無い」と書くが、それでは「幸せのツボ」は売れないのだ。

日本の政権が短命なのはメディアのせいじゃないかとぼくは密かに思う。 「支持率の低下」を盾にマスコミは、さも自分たちが国民の声の代弁者のようにふるまう。 国民から不満があがっているなどと首相下ろしに熱弁を振るう。 だが、それは政権がコロコロ変わるほうが自分たちに都合が良いからだ。 新聞や雑誌を売り、報道番組の視聴率を上げたいための方便にも思える。この支持率とやら、言うまでもなくマスコミの産物である。 むかしチャップリンの映画で、子どもが石を投げて窓ガラスをわって逃げ、そのあとでチャップリン扮する路上ガラス売りがひょいっと登場するというシーンがあったけれど、そんな出来レースを見る思いがする。

「社会の変化」を求め続け、変化がなければ無理に作り出し、変化しなくてもいいものまで変化させる。 そのような世論を作り、社会不安に誘導する。 紙面に踊るトップ見出しの80%はネガティブ報道である。 そのほうが売れるのだ。 残念ながら。 売れれば広告がつく。 広告がつけば、広告主の都合の悪いことは載せられない。 負のスパイラル。 読者不在のメディア論。

だからぼくは広告のついた情報に距離を起き、コンテンツそのものに対価を払って情報を得る方法を取る。 タダ情報はファーストフードに似ている。 カロリーは高いが栄養価は低い。 安くてお腹がいっぱいになり、骨がもろくなる。 そのうえ、猛烈に中毒性がある。

肥満はウツに走りやすいけれど、情報メタボもまた同じ。
「いつのまにか太らされていた」
てなことにならないようにしたいですね。

8 件のコメント

  • こんばんわ。

    いゃいゃ、改めて丁寧に説明していただくとメディアがいかに不要な情報を蔓延させていたか明確にしていけますね。

    不安を煽って情報にニーズを発信していくとはえげつない行為ですね。

    そこそこは必要かと思いますが過剰な表現で民意を操作していくのはどうかと思いますね。

  • 先の連休日「噛みつき猿、ついに逮捕」などど、ワイドショーどころかニュースで特集を組んで放送していました。

    猿を不必要に追い掛け回し、興奮させ、
    それをテレビで見た住民の刺激をあおり、
    それがまた町中を徘徊する猿が最高潮に興奮させた
    大捕り物帳を見ました。

    幸せな壺売りは、どんどん粗悪になってるようです。
    それにクレームを唱えられるナオキンこそは、ほんとうは上顧客なのに・・・。

  • テレビを見ていて、なぜにここまでネガティブに、そして必要以上に不安を煽るのか、いつも気になっていました。
    本質とは違うところで問題を大きくし、一般市民を不安にさせる。その結果どうなっても責任は負わない。
    確かに現政権の在り方などは批判のしようがありますが、その裏で行っていた各大臣の功績などは一切報じられなかったような気がします。

    メディア側の『正義』のなかで報道が行われ、視聴者に伝わる。
    大学時代のメディア論で学んだ『メディア・フレーム』を最近ますます肌で感じている今日この頃です。

  • なおきんさん、こんばんは。めっきり過ごしやすくなりましたね。

    海外在住の友人が一時帰国した際に、「生命保険と製薬会社のCMがやたら多い」と言っていたのをうけて、それは今、多くの人がそれだけ不安を感じやすくなっているということかなあと思っていたところでした。「この先どうなるかしら」っていう、そりゃわかんないでしょうって言ったら身もふたもない、だからこそ誰もが陥ることができる不安。

    そして確かに、「今日はこんないいことがありましたよ!」っていうのに特化したメディアって、ないですね。いや、あるのかな?あったら、なんだか、素敵だとも思うのですけれど。

  • こんばんわ。
    今日はチリの救出現場の映像で世界中がHAPPYでした。受信料を徴収するTV局のニュースでは世界の興奮を尻目に淡々と伝えていましたけど・・・もっと楽しそうにすればいいのに・・・
    『マスコミが無責任に世の中の動きを操作している』というのは常々感じていました。なんと恐ろしい事でしょうか・・

  • じさん、一番ゲットおめでとさまです。
    マスコミが不安をあおるのは「大衆は刺激を求めている」という不文律に従っているのでしょうね。ちなみにストレスの語源は刺激です。つまり「刺激過多 = ストレス過多」になるのも納得ですね。でも、人は刺激にはすぐに慣れちゃいます。すると新たな刺激を求める。マスコミはこれに呼応しているだけなのかもしれませんね。
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    quumieさん、初コメントありがとうございます!
    「噛み付き猿」については、かわいそうだなあと思いました。なんだか映画『キングコング』の小型版みたいだし。メディアを「幸せのつぼ」について例えましたが、そもそも古今東西、宗教とはそんなふうに危機をあおって信者を得てきたわけです。となると、マスコミも一種の宗教なのかもしれませんね。
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    mu_ne_2さん、感じていただいている通りです。よく「政治家はどいつもこいつもみんなダメだ」と酒場でオヤジたちがぼやいていたりしますが、そりゃまあ悪いところばかりをクローズアップして報道されれば、「なんであんなやつらばかりが・・?」てな疑問が浮かんで当然。勧善懲悪を標榜するあまりに、悪人を作り出し、より悪人に仕立て上げて、これをこらしめようと世論誘導するマスコミの正義こそ疑問なんですけどね。
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    coco.。さん、「明るいニュース」より「悪いニュース」のほうが伝達スピードが速いといいますよね。ともすれば明るいニュースは人々の嫉妬や妬みをかいやすく、ネガティブな報道は同情や共感などを得やすいのかもしれませんね。それにしても広告宣伝費がどんどん削られるさなか、保険と製薬だけは潤沢にこれを使っています。つまり両者を立てる番組作りがされているとみていいでしょう。こわいですね、サブリミナル。
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    きっきさん、チリの炭鉱夫救出についてのニュースは久しぶりに明るい話題でしたね。でも、「地上で待っていたのは愛人だった」「地下も地獄、地上も地獄」などと、どうでもいい話題につながっちゃってます。やれやれ、ですね。結局のところ、ひとびとは物語を欲していて、メディアがこれをおもしろおかしく報じている図式には変わんないですね。
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    マーサさん、初コメントありがとさまです!
    同じ意見を持っていらっしゃると聞いて親近感を持ちました。時にメディアは、自分たちが政権を操っているような万能感をもってしまうこともあるのでしょうね。

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    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。