毎日必ず誰かが死ぬ
ずっと昔に読んだ本の一文。
なんのタイトルだったか、忘れたが
覚えているのは、その時思ったこと。
ああ、誰かが代わりに死んだから
自分が今日、生きていられるのだと
子供だったぼくは、そう思った。
そう思いこんだ時期が、少しの間あった。
大人になるにつれ、忘れていった。
そのことを思い出すきっかけとなった
2年前の3月11日。
あれだけ揺れたのだ。
自分だって被災者だったかもしれない。
多くの犠牲があって、いまがある。
あなたや、ぼくがいる。
あの日からまもなくして
ぼくはこのブログのほかに、まいにち
その日思うことを書き留めるようになった。
何かひとつでも意味のある一日だったか
そのことを自分に問い、書き残す。
なにひとつ思いあたらない日もあるが
なんでもいいから、無理して書く。
浮かばなければ、搾り出すのだ。
書き残したいから書くんじゃなく
あったはずの「意味」を探して書く。
でも探すのはしんどい。できれば
探さなくても、意味を確信できるような
いち日を送りたい。
2年近く続けてみて、そう思った。
多くの犠牲があって生かされている。
それを忘れないように、書く。
どの日もそれぞれ、意味がある。
ごくたまに、書き残した一文を
拡大して記事に起こし
イラ写にアップすることがある。
そしたらまた、
つきあってくださいね。
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