もの心がついてから最初の誕生日プレゼントは地球儀だった。4才児に対してどうかと思うが、両親にだっていろいろ考えがあったのだろう。ただあまりにもぼくが興味を示さなかったので、「この子は一生、世界とは無縁の人生かも知れない」と心配したのだそうだ。とにかく地球儀はそのままタンスの上に置かれ、たまたま写真にうつりこんでいた。
自分の意思で地球儀を買ったのは高校生のとき。遠からず日本を出ようと決めていた。それで気分を盛り上げようとしたのだ。親の心配は杞憂だったが、それがよかったかどうかは話が別である。地球儀の中の日本はいかにも小さい。まん中でもない。回せば裏になるし下になる。地球はまるく、上下左右はないのだ。電気スタンドを球体にあて、いつまでも飽きずに見ていられた。糸を使って都市と都市の距離を測ったりもした。こう通ったほうが近いのに、実際の航路はなぜわざわざ遠回りするのか?そのような疑問から政治や宗教にも興味を持った。一生かけてどの国に行き、行かないか?そんなことを考えてはワクワクした。
いま目の前にある地球儀は直径30㎝ほどの米キッカーランド社製のもので、2008年に購入した。地球儀なんて押し入れの中でほこりをかぶるもの、と決めつけてはいけない。ぼくのそれは、パソコンのモニターのとなりにおかれ、あいかわらずくるくると回っている。南極が上になったり、北極が正面にきたりと、埃がたまるひまがない。定期的にはたきをかけ、クリーナーでみがく。(地球はともかく)せめて地球儀くらいはクリーンに保ちたい。
▲ 目盛りは緯度。東京は北緯34度、サンクトペテルブルグは北緯59度。夏に訪れたとき、23時になっても空が明るかった。北緯66度を超えると太陽が沈まない白夜となる。
地球はまるい。
それを世界地図にするとメルカトル図法のせいで歪む。グリーンランドが巨大化し、アフリカ大陸が小さく見える。たとえばニューギニアは日本の2倍の面積を持つが、世界地図だと同じくらいに見える。むしろ小さく見える。北米大陸は南北に長細いのに東西に平たく見える。アラスカのせいで米国は、中国よりはるかに大きく見えるが、両国の面積はほぼ同じで960万㎢。面積といえばインドとサウジアラビアもほぼ同じ。だのに人口はインド12億、サウジ3千万以下と40倍も開きがある。なぜだろう?とあれこれ考える。そのように地球儀を眺めているだけで興味が尽きない。見えないことが見え始め、思いつかなかったところにたどり着く。安倍政権になって「地球儀外交」という言葉が使われだした。いいことだと思う。
▲ こうしてみると日本列島は中国の太平洋へのフタになっているのがわかる
エイミー・チュアはその著書で、大国の条件として「寛容性」をあげた。そのとおりなのかもしれない。民族、文化、宗教、違いを細分化するほど摩擦が生まれる。摩擦は発展を妨げ、足の引っぱりあいを増長させる。民族自決というのは聞こえはいいが、正統性を盾にとり、相手を攻撃して悪びれない。相手を受け入れないことで、アイデンティティが保てると思い込むひともいる。そんな人びとの住む国はたいてい衰退していった。
地球はまるい。世界もまるい。
無理にひらたく見せれば歪むのだ。
■ 今日のひろいもの「Kikkerland Silver Glove」
シルバーに統一されたデザインに惹かれ2008年に購入。以来、デスクにあるものはパソコンからiPad、電気スタンドまですべてシルバーに。同じ年に飼いはじめた犬までグレイトイプードルと、すっかりシルバーづいています。ちなみに同モデルはすでに製造中止で売られていないようす。光沢は買った当時のまま。もうしばらく愛用できそうです。
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