幻の東京オリンピック

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前回のエントリに引き続き、歴史をひもとく。
1936年のことだ。
実はこの年、次期オリンピック(1940年)の開催地がIOC(国際オリンピック委員会)総会によって、”東京”が選ばれたとある。

ちょっとまてよ、と思う。
だって1930年代の日本といえば、1931年-満州事変、1933年-国際連盟脱退、1936年-2.26事件などがたて続けに起こっていて、日本は国際社会から孤立し、軍事国家まっしぐらの時代であったからだ。 あるいは当時の日本を、いまの北朝鮮フセイン時代のイラクにたとえるひとだっているかもしれない。
「その頃の日本は暗黒時代だったのです」
歴史の先生は、そんなふうにぼくたちに教えていた。

その日本が、立候補した9都市の中からみごと、1940年オリンピック開催国として選ばれたのだ。 初挑戦で、しかも欧米以外では初めての開催国。 アメリカやイギリスも日本に一票をいれていたという。

■ 日本人選手が参加したこれまでのオリンピック成績
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選手数とホームであることを勘案すれば、開催されていればメダル30個は獲得したんじゃないかと思う

あまり知られていないことだけど、実は1930年代の日本は高度成長期の、ただ中であった。 銀座三越がオープンしたのは1930年、高島屋一号店は1933年、渋谷の東急百貨店(当時は東横百貨店)は1937年にそれぞれオープンしたとある。 (ちなみに国会議事堂が建てられたは1936年)
高級デパートが林立する背景は、ファッションや生活スタイルに関心があり、国民生活にゆとりが出始めたとみていいだろう。 いまの北朝鮮とはわけがちがうのだ。

■ 1930年代の日本の経済成長(GDP:百万US$ベース)
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OECD the world economy “A Millennial Perspective”

東京オリンピックだけではない。 続く冬季オリンピックでは、IOCによって札幌が開催都市として決定されたのだ。 同じ日本から二都市だ。 同じく1940年に開催が予定されている日本万博という国際的イベントらを思えば、「満州事変以後、国際社会から孤立していた」とは思えない。

その東京オリンピック開催が取りやめになったのは、国際社会から総スカンを食ったからではない。 日本みずから、その権利を返上してしまったのだ。 時に1938年のことだった。 IOCのラツール会長(当時)や他の委員は、それでも東京での開催を強く支持し続けたという。 ではなぜ、日本でオリンピック返上の閣議決定がなされたのか?

理由は鉄などの資源不足であった。
1937年に始まった日中戦争日華事変)のため、競技場や各施設の建設に利用されるはずの鉄は軍需産業へ転用することになったためだ。

 

知れば知るほど、残念な日中戦争
内外の反日運動家は、あれは日本の軍部の暴走が原因のように後世に語り継いでいるけれど、必ずしもそれだけではない。 どちらかといえば、当時中国に住んでいた日本人へのテロ活動を解決するために、つまり在中国邦人を保護するためにやむなく出兵した、という解釈のほうが自然だ。 「在留邦人ばかりを狙った集団殺人」現地の警察も軍も、日本人を守るどころか、いっしょになって虐殺していた(済南事件、通州事件など多数)のだ。

とはいえ、日本と中国がことを起こさなかったとしても、やはり世界は1940年に開催予定のオリンピックどころじゃなかったと思う。 ナチスドイツがポーランドに攻め、第二次大戦が勃発したのは1939年9月。 あとは歴史で知られているとおり、である。

 

「戦前は悪く、戦後は正しい」 とぼくたちは信じ込まされている。 けれども高度成長は戦後だけにあったわけではないし、戦前の日本がひたすら国際的に孤立していたわけでもない。 ましてや暗黒時代でもない。

 

「戦前の日本人」とは、戦前にもの心あったいまの80代以上の祖父や祖母だ。 あらためて敬いたいと思う。 よいこともたくさんあったはずの戦前の日本を、万国博覧会やオリンピックが開催されるはずだった当時の東京を、もっと謙虚に評価すべきだと思う。

 

1940年に東京オリンピックと日本万博が予定どおり行われていた「もうひとつの世界」があるとすれば、それはいまごろどんな世界で、ぼくたち日本人はどうなっていたんだろう?って思うことがある。

どうでもいいことだけど、わりと気になるのである。

 

6 件のコメント

  • 古きよき日本が色濃く残っていた時代ですね。
    日清・日露時の敵対国捕虜への待遇に、「さすが武士道の国」と他国から賞賛されてい、第一次世界大戦時も戦勝国側にあった日本が、なぜ孤立化し、大東亜戦争から第二次世界大戦へと発展していったのか。
    誰がそこまで日本を追い詰めたのか。そして前の戦争では賞賛された日本の、捕虜への待遇も悪化の一途を辿ることになるのか(食料を含む各物資の枯渇も大きな影響を与えていることとは思いますが)。
    第二次大戦前の日本の経済成長は、誰にとって不都合だったのか。考えてみると、そこにはエネルギー戦争の裏の主役たちが見え隠れするような気がします。

    あ、ガラにもなく知恵熱が出るようなことを書いてしまいました(´∇`)アハー

  • 昨年から一緒に暮らし始めた養父母はまさに80歳
    戦前の古き良き日本を子どもの頃過ごしてきた人たちです
    なので、食卓でよく幼少の頃の思い出話を聞かせてくれます^^;まぁ、農村地区なのでほとんどが農業に関してのことや原野での遊び、敵機が上空低く飛んできたことなどの戦時中の話もありますが
    学校で習った歴史とは違った背景で、なんだか感慨深かったです
    大阪万博にしても、75年生まれの私は知らなかったことばかりでした
    幻の東京オリンピックかぁ!ホント、どうなっていたんでしょうね

  • 「戦後の高度成長期」って言葉がキライです。
    確かに日本は敗戦から立ち直ろうとしてみんなが頑張ったかもしれないけど そうして出来上がった日本は果たして焼ける前の美しさを取り戻せたのか。違うと思いますね。人も物もガツガツして見栄っ張りで隠れて悪さして、違う方向に勢いづいちゃったような気がします。
    東京オリンピックも「自分たちはこれだけ頑張ったんだ!」って世界に見せるためのもの。日本の自己満足。でも必要なものだったのかも。。。
    石原都知事は再び招致をめざしてるみたいですけど、もう要らないです。オリンピック。
    東京オリンピックに連れてってもらったのはワタシの記憶の最初の方のページに薄〜く残ってるくらい遠いもの。なおきんさんの「読み」はかなり近かったです^^

  • 戦前の日本は悪い。戦後の日本は素晴らしい。一概にそういえるとは思えません。本を読んだり、いろいろと考えてみると、むやみやたらに当時の日本人が侵略戦争をしたとは思えないんです。
    確かに軍国主義に向かっていく中で、強引なやり方もあったでしょうけど、親日的な国も多かったようですし、現在の日本人が知らない人が未だに現地では尊敬される人だったりしていますよね。

    さて、東京五輪招致。今週1週間が重要となるようですね。
    コンパクトオリンピック・・・実現すれば楽しみですね♪

  • 第二次世界大戦がなかった想定の物語でも、多くは軍国主義が継続されていて、『東京』ではなく『帝都』と呼ぶ方が相応しい印象を受けます。
    自爆テロや情報統制…六十数年前の日本でも当たり前に行われていたことなんですよね。
    トップの方が、学徒動員を経験されているので、当時のお話を伺うと、『なぜそんな事を真に受けるの?』ということばかりですが、きっとその時代に自分が生きていたら、竹槍で敵を倒す!と日々精進していたんだろうな…
    大切なモノを守るために、若くして散っていった多くの方々がもし、そのままご存命なら、『帝都』ではない、また違った日本が存在したかもしれませんよね。

  • Yulicoさん、一番ゲットおめでとさまです!
    当時のこと、よく勉強されてますね。 たいてい「男がしゃべって女性がしらける」のが歴史テーマの宿命だったりするので、なんだかすごく頼もしいです。 1931年から1945年の「15年間だけ」日本人は狂ってしまったかのような不自然な歴史観が跋扈していますよね。 裏の主役たちに加担するような日教組や朝日新聞などのマスコミには、納得できる説明がほしいものです。
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    HARUママ♪さん、それはいい機会ですね。 不幸にも戦後民主主義教育の先駆となった両親の世代をはさんで、ぼくたちと祖父母世代が断絶されてしまいました。 「戦前の日本はアジアでひどいことをした」ということばかりが強調され、そんな当時の日本人を軽蔑する風潮が生まれたからですね。 残念ですが、いまならまだぎりぎり間に合います。 HARUママさんのお宅のようにね。
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    mu_ne_2さん、「侵略戦争」って定義しづらいですよね。 現代の視点をすれば侵略でも、当時の感覚では「経済圏の拡大」のようなもの。 戦時中は軍政もあったから厳しくあたった占領地もあっただろうけど、台湾の50年、韓国の35年、満州の15年、といったように戦前から長く統治している土地では、多くの産業開発とインフラ整備を残しています。北朝鮮が70年代まだそれなりに産業を持っていたのは、日本が置き残した工場やインフラの再利用のおかげだと聞きます。
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    faithiaさん、開国から1945年まで日本の正式名称は「大日本帝国」。 その首都東京はおのずと帝都と呼ばれます。 「帝国」はいまやネガティブに考えられているけど、当時は逆のイメージです。 学徒出陣の1944年当時の日本は、国の存亡をかけていたとき。 「国が滅ぶかどうか」のときに、一人でも多くの兵隊が必要なときに、勉強していていいのか?という感じだったのでしょう。 不幸な時代でした。 誰も好き好んで戦争をしたかったわけではありません。 東条しかり関東軍しかり。 ぼくもいろいろ知る前はfaithiaさんと同じ意見でしたが、当事の視点で見直すほどに、それほど単純でもないのだなあと思うようになりました。 すみません、ちょっと僭越でした。

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    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。