無難な選択

ネットのおかげで無限の選択肢を得た。
そのことをきっかけに、選ぶことの喜びとしんどさを経験した。
喜びのほうは、まあいい。問題はしんどさのほうだ。

好きに選んでいいよといわれ、それではお言葉に甘えて、と。
膨大な選択肢からひとつずつ吟味して、選択するなんて不可能だ。
そこで検索エンジンや、ランキングサイトを利用することになる。

結果、自分が選んだものは、すでに多くの人が選んだものである。
クチコミやマスコミ、リコメンド・・・ 選ばれるほどに選ばれる。
選択肢が広がるほどに、自由度はむしろ減っているかもしれない。

「自分らしさ」という言葉が気味悪いほど使われるいっぽうで、
選択したものは、ほかの誰かのものである。疑似体験の踏襲だ。
大勢が選んだものを自分も選び、さらに誰かが選ぶきっかけとなる。
無難で安全かもしれないが「自分らしさ」からは遠い。

いまこそ必要なのは「自分のものさし」を持つこと。
それをピカピカに磨き上げる自らのフィルタリングである。
例えば嗅覚、違和感。それから直感力。
これらに王道はなく、ほとんどは経験から学ぶしかない。
痛い目に遭い、失敗を恐れないこと。
意外とうるさい自意識に邪魔されないこと。

みんなが同じ方向に向いているときに「おかしい」と言える勇気。

ぼくにそのことができているか?
悩ましいのはいつもそのことだ。

5 件のコメント

  •  先月、東京に行った時のことを思い出しました。
     男性も、女性も、ちょっと中年と思しき人達も、それよりもずっと若い人達も、みーんな、おんなじに見えました。その時は、あれれ?・?という感じ。
     そして、昨日、用事があって、京都にある大学に行きました。
     大学生が、みんな同じに見えました。
     一夜経って、「そうだ、イラ写」と思い、来てみると、今日の記事。
     
     でもね、思い出してみると、去年ロンドンに行った時も、「あれ・・・みんな同じに見える」だったので、それは何も日本だけのことではないかもしれませんね。

     そうなると、もはや、違いを生むメイジャーエンジンは、言語の違いだけはないか…と思ったりします。

     それにしても、「自意識」というやつは、とんでもなくうるさくて、分離圧力との戦いが続いています。戦っちゃいけないのはわかってんだけど・・・戦っちゃうというのは、もはや自意識の手中に入ったも同然。むむむ。

  • 確かに、「個の埋没」は実感しますね。大きな会社を相手にしていると、「堪忍」してばかりで、「ナラサレタ自分=その他大勢」みたいな感じで悩みました。今もその後遺症を引きずっているみたいです。磨り減った個性の芽を大事に育てて、再度自我に目覚める日が来ることを願って止まない日々を送っています。あ〜、しんどい。

  • タイさん、一番ゲットおめでとさまです。
    なんだか「渡りに船」みたいな記事だったのですね。だったらうれしいです。でもまわりがおなじに見えるときは、自分がとても特異なときなんでしょうね。ちょうどものすごいスピードで走っていると、まわりが止まってみえるときのような。分離圧力さんに「がんばって」とよろしくお伝え下さい。
    ——————————-
    昔の同僚さん、大きな会社はわりと責任所在をリスク分散しているようなところがあるから、個と組織が同体な状態で立ち向かうとすごく消耗しますね。あと、昔の同僚さんは、どれほど個をすり減らしても、ちっとも減らないくらい大きな個なので、それほど心配いらない気がします。

  • 皆がおかしいのか、私がおかしいのか。分からなくなる時ありませんか。
    おかしいと思っても、何がおかしいのかは自分でも分からなかったり。
    そういう時、ここを覗くと何かあるんですよね。

  • 8-8さん、人間は何かしらどこかおかしいのだと思います。それが時代や環境によって認められたり認められなかったりするだけなのかもしれません。「違和感を覚えたらそれがオマエの個性だ」と教えてくれた人がいました。わかる気がします。

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    なおきん

    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。