ハワイならではの博物館「ARMY MUSEUM HAWAII」

1941年12月7日 朝(日本時間8日)、日米は開戦した。
舞台はハワイ、オアフ島。日曜日の朝、低空で侵入してきた日本海軍機363機による大編隊。それらが次々に飛行場を襲い、パールハーバーに停泊していたアメリカ戦艦を襲った。時のルーズベルト大統領は「だまし討ちされた!」と日本を非難、「リメンバー・パールハーバー」はスローガンとなった。

戦後、各国各地に戦争(軍事)博物館があるが、意外にも日本にはない(現存するのはすべて民間のもの)。国民の戦意高揚のために造られることが多く、日本は平和国家なのだからそんなものは必要ないとされたのかもしれない。

ホノルルのメイン通りカラカウア・アヴェニューを歩いていると、すれ違う人々の8割は日本人かと思う。なんだか、まるで東京ディズニーランドにいるような気分になる。雨に打たれ、シー・ブリーズによって乾かされながら一路、向かうはハワイ陸軍博物館である。文字通り、アメリカ陸軍が管轄する施設だ。

正面玄関そばで、M24チャーフィー軽戦車と95式軽戦車がなかよくならんで迎えてくれた。挨拶代わりに一枚写真を撮る。同じ軽戦車とは思えないほどサイズが違う。ヘビー級とフライ級の差はあるだろう。

館内は薄暗く、重厚な作りである。
風光明媚なハワイにあって場違いな印象を持つひともいるかもしれないけど、ハワイはそもそもアメリカにとって太平洋上におけるもっとも重要な軍事基地である。1889年、ハワイを併合したアメリカはここを拠点に、さらに西方へと領土を拡張していった。この博物館はその歴史を展示品とともに現在に伝えている。1940年にアメリカ太平洋艦隊の総司令部をおいてからは、日本からの攻撃にも備えるよう指示が出されてもいた。そして案の定、その日がやってきたのだ。

2016年、安倍首相がハワイを訪問したとき「謝罪するのかどうか」が議論されたことがある。だが「オバマ大統領が広島を訪問したときには謝罪しなかった。だからする必要はない」的な意見には、ぼく自身唖然とした。どうして謝罪ばかりが話題になるのだろう? 結果、安倍首相は謝罪をしなかった。それを批判するマスコミの論調もあった。

こうした不毛な議論のもとは「日本の真珠湾(パールハーバー)攻撃は卑怯だったとアメリカ人は怒っている」など、加害者としての罪悪感が根底にある。そうだろうか? そのことを当事者であるアメリカは、アメリカ陸軍はどう伝えているのか? それを知リたいと思った。のんびりビーチでくつろいでいる場合ではないのだ。

展示内容に戻る。
なぜ日本は戦争を始めたのか?というテーマについて、見解が記されている。まずは中国との戦争についてだ。なぜハワイなのに中国が? そこには、アメリカとの戦争に欠かせない理由があったのだ。

▲「中国での市街戦」と題して、1937年当時の中華民国の首都、南京での市街戦について触れている。その直前にアメリカ軍のパネー号を揚子江で誤爆したが、直ちに日米は停戦したことが記されている。また、このとき使われた92式7.7ミリマシンガンの性能について、日本兵士のマネキンとともに説明書きがあった。

となりには南京陥落を記念して石井大将がパレードをした様子の写真が展示されていた。南京大虐殺などは、どこにも記述がない。中国政府が民間団体を通じ、記述のないことを抗議したようだが、はねのけている。

▲「なぜ日本は中国を侵略したか?」と題し、日本は資源国でないため、経済や産業を拡大するためには大陸に進出しなければならなかったとし、中国は、敵国ソビエト連邦との間の緩衝地帯として必要だったと書かれている。1932:満州を接収、1937年:日本は中国を戦争に煽った(provoked)などと、淡々と述べている。外国人でもわかりやすい単語を選び、シンプルに説明している。同時に、軍国主義だの虐殺だのという、敵愾心を煽るようなワードは使われていない。

アメリカと日本、新興国同士それぞれに拡張してきた。以上の理由から日本は中国に攻め入り、やがてベトナムにも進駐した。アメリカはこれに対し石油の輸出を禁じた。経済制裁である。当時の日本は輸入の8割をアメリカに頼っていた。門戸を閉ざされ、このまま座して死すより、力づくでもこれをこじ開ける必要があったのだ。

▲「空母赤城と日本兵パイロットの飛行帽」 日本人にとって日本帝国海軍を象徴する艦船は「大和」であり「武蔵」だが、アメリカではそうは考えておらず、空母機動艦隊の旗艦であった「赤城」である。当時、飛行機で戦艦を沈めるというのは空想に近い、戯言であった。それをやってのけた日本海軍将兵と、はるばる日本から飛行機を積んでやってきた赤城ら空母を「画期的」「よく訓練された戦士」と、尊敬を込め賞賛している。それが展示品のいたるところで見受けられた。

▲「ゼロ戦21型に搭載された20mm機関砲」開戦当時、アメリカの戦闘機は13mm機銃だったが、日本軍はそれより破壊力のある機関砲。両翼にそれぞれ一輝ずつ搭載されていた。

▲「真珠湾攻撃後のホノルルの様子」もうすぐ日本軍が攻めてくると、ハワイ諸島全域で警戒され、ワイキキビーチは鉄条網がはられ、日本軍上陸を阻止しようと懸命であった。史実はそうはならず、空振りに終わったが、翌年5月ミッドウエイ海戦でアメリカが大勝するまで警戒を解くことはなかった。それまでは、再び日本軍がやってきて、ここを占領しようとすると思っていたのだ。それほどまで日本軍の攻撃は熾烈で効果的であった。パイロットは勇敢で、作戦は画期的だと評されていたという根拠がある。

▲「日本の失敗」と題し、ハワイ作戦を立案し、指揮した山本五十六の写真が展示されている。てっきりこれへの批判かと読んでみると、日本海軍は戦術的には成功したが、空母を撃ち漏らし、艦船ドックや石油貯蔵施設を攻撃しなかったことは失敗だったと記している。実際のところ翌年のアメリカ軍の反撃拠点はやはりハワイであった。座礁したりかく座した戦艦は修理され、空母はハワイで給油してから太平洋全域で大活躍した。第二次攻撃でこうした施設を攻撃し、上陸までしていたらアメリカの反撃は挫かれ、日本が講和を望めば、和平に応じたかもしれない。アメリカ世論が突き上げるだろうし、そもそも日本だって短期決戦のつもりで開戦したのだ。

「なぜあそこまでやっておきながら、上陸しなかったんだ?」これはアメリカ軍上層部がいまも不思議がる、大失敗であった。

「ハワイ攻撃に参加した3機種」中島97式艦上攻撃機(通称ケイト、雷撃、水平爆撃)、愛知99式艦上爆撃機(通称ヴァル、急降下爆撃)、三菱零式艦上戦闘機(通称ゼロ、制空)の模型をわざわざ展示し、その恐ろしくも完璧な仕事ぶりを記している。

ここはいったいどこの国の博物館だろうか?と思う。 ハワイは日本に奇襲され、完膚なまでに叩きのめされ、死傷者も3000人近く出たのだ。アメリカ建国以来、はじめて外国勢力から攻められ、戦闘に敗北したのだ。もっと相手を悪く記しても、誰も文句は言われなかったろうにと思う。事実、中国や韓国の戦争に関する博物館なんて、いかに日本軍がひどかったかばかりが強調されている。日本の歴史教科書も似たようなものだが。

アメリカはそういう面ではすごくフェアな国なのだ。展示品の中には「アメリカ軍の誤爆、誤射が相次ぎ、市街地や民間人を殺傷した」とも説明している。

▲「味方の誤射による被害」

ハワイの失敗をしっかりと公言したうえで分析し、それを反省し、翌年のミッドウエイの奇跡(日本の空母艦隊を全滅させた)へ活かせた。と客観的に分析している。対照的に、日本側はミッドウエイ海戦の大敗北を国民はもちろん、陸軍その他人もひた隠しにしていた海軍上層部とはえらい違いである。

戦後、日本において未だに公的な軍事博物館がないのも、すりこまれた贖罪意識だけでなく、こうした隠蔽体質が原因なんじゃないかと思う。臭いものには蓋をする。忌避すべきは、なかったことにする。

このハワイ陸軍博物館は入場無料である。その代わり「訪問台帳」にサインが必要だ。ぼくはそこに自分の名前を書きながら、他の訪問者の出身地やコメントなどにざっと目を通させてもらった。実に様々な国の人がやってきているようだった。アメリカ人、オーストラリア人、カナダ人、日本人、中国人、フィリピン人・・・。展示品の半分以上は「日本との戦争」についてである。19世紀終わりのアメリカ併合以来、ここを攻撃した外国勢力は日本のみだからだ。

ぼくが展示品を眺めているそばで、アメリカ人親子が会話をしているのが聞こえた。8歳くらいの男の子は、興味津々である。「なぜ日本の飛行機はハワイに来て攻撃したの?」「なぜ空母が要ったの?」「どうして日本ばかりで、アメリカ軍の飛行機が展示されていないの?」父親は、息子にていねいに答える。「そうだな、どうしてだろう?」「ほらここに書いてあるよ」「これはパパも初めて知ったよ」・・・

▲「ゼロ戦コクピットに搭載の時計」この飛行機が撃ち落とされたとき時間は8時30分をさしている。攻撃開始から約一時間後のことであった。

博物館にぼくはかれこれ3時間もいたことになる。ルーブル美術館じゃあるまいし、と思う。出口から館外にでて、また入り口へ。これを三回繰り返す。受付の人は3度めには替わっていた。「台帳ならほらここにサインしてある」とぼくは、設置してある寄付箱へ少しはずんでおいた。

この博物館、ずいぶん中国から抗議をうけているようである。「アパホテル」しかり、自分たちが後付で付け加えたことを否定されると、この政府はものすごく反応してしまうのだ。そんな逆風に対しても、毅然と客観的な史実をこれからも伝えていって欲しい。

そう願いながら、館をあとにした。

次はパールハーバーについて書きます。

 

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    なおきん

    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。