日本に対して態度を硬化し続ける韓国だけど、150年前も同じように日本からの新書を突き返していたことがあった

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野田首相が韓国の李大統領に宛てた親書が、受け取りを拒否され突き返されたというニュースに憤慨した日本人は多い。突き返した理由はなんと、文書に韓国名の「独島」でなく「竹島」と書かれていたからというものだ。「中身読んでるじゃねえか!」というツッコミはともかく、外交儀礼にあるまじき行為。当然他国に例を見ない。戦争直前の日米にだって、そんなことはなかった。だがまてよ。過去にもあったような気がする。既視感がある。

 

ときに明治元年(1868年)のこと。

明治新政府は、新政権が誕生したことを知らせる国書を当時の李氏朝鮮政府に送った。ところが朝鮮側はこれを拒否、日本に突き返したのだった。そう、やはりあったのだ。しかも相手はおなじく朝鮮(韓国)。もしかしたら彼らの伝統なのかもしれない。

当時の朝鮮は鎖国政策を敷いており、日本とはかろうじて対馬藩の宗氏を通じて外交や貿易が行われていた。そこで国書。内容は、外交窓口を対馬藩から日本政府に替えるからよろしく、という通達だ。藩をなくし県に置き換える行政改革、廃藩置県はこの3年後である。

だが朝鮮側はこれにクレームをつける。理由は内容じゃない。「皇」と「勅」という2つの漢字が文書内で使われていたこと。この漢字は中国皇帝のみが使うことを許されているとし、身分の低い倭王(朝鮮は天皇のことをそう呼んでいた)が使うべきでないというのだ。ひるまず日本政府は再び国書を送る。再び朝鮮が突き返す。また送る。また突き返す。そのうち朝鮮側は対馬倭館(大使館の役目をはたしていた)に食料を搬入しないなど、嫌がらせをしはじめる。世界唯一の大国は中国で、我らが朝鮮はその一番弟子。日本などは化外の地。という認識が、態度を尊大にさせたのだろう。

日本はこれに態度を硬化。「非礼だ」と声があがり、やがて「朝鮮を征伐しよう」となる。いわゆる征韓論である。中心人物はあの西郷隆盛板垣退助らがいた。これが高じて江華島事件。太政大臣外務大臣を乗せた軍艦2隻を派遣したところ、朝鮮・江華島から砲撃を受け、反撃に転じた日本陸戦隊が上陸し、島を占領するという事件だ。翌年、日朝修好条規が締結(1876年)。かたくなに鎖国していた朝鮮を日本は威圧し、開国させた。かつて米国にされたことを、日本は朝鮮にしたのだ。

 

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征韓論の図(西郷隆盛板垣退助ら)

 

こんなふうに過去のことを書きながら、だんだん未来のことを書いているんじゃないかという気になってくる。公文書突き返し。クレームは「漢字」について。天皇陛下への非礼。そして島の再上陸。デジャブである。19世紀末時点の眠れる朝鮮(韓国)は、ここから激動の時代に突入する。否が応でもなく、列強の領土資源強奪戦に「被当事者」として組み込まれていく。自分たちより格下だと思っていた日本が、いつのまにか列強になっていて、自分たちを併合し、数十年後には宗主国にまでなった。統治時代、朝鮮半島はインフラが整い、制度も近代的になった。餓死から開放され、豊かな民衆も増えた。

だが失われたものがある。

プライドだ。
これがいまに続く反日パワーの源泉である。

竹島に寄せる思いは複雑だ。

あれはどう客観的に判断しても日本の領土だが、50年も実効支配している韓国からしてみれば「なにをいまさら」という感がわからないでもない。おまけに144年前のあのきっかけをして、日本人は自分たちを支配することになったのだと学べば、反省もするだろうが、同じことをされないよういっそう頑なになるかもしれない。

なにしろ歴史は常に学ぶ側の解釈にゆだねられるのだ。
それゆえ真実とはまた別の文脈にある。

 

■ 韓国メディアは「李明博竹島訪問」をどう報じたか?

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李大統領の竹島訪問。当の韓国ではどう評価されたのか気になるところだ。日本のメディアは「韓国では大いに支持され、支持率も6%アップした」と報道していた。だが実情はビミョーである。まず李大統領の正当であるセヌリ党を支持している保守系の「朝鮮日報」は【評価する66.8%、評価しない18.4%】だが、中道保守の「中央日報」は【評価する:9.4%、評価しない81.5%】であり、圧倒的に評価されていないことがわかる。また左派系「ハンギョレ」に至っては、「戦略的に性急で、時期的に唐突、政府の対日政策の基調からも外れている」と真向から批判している。政権末期になると恒例になった「反日行動で支持力を回復させる」神通力も失われつつあるということかもしれない。

5 件のコメント

  • 記憶の残り方、記録の残し方、見る角度の違い、刷り込み。。。。いろいろな絡みがあるとはいえ、これほどまでに明らかな事が大きな争いになる。。。
    あ、私、最近コメ多いですけど、しかも一番多いですけど、ストーカー違いますよ(^^;)

  • 歴史は繰り返されてるんですね。

    私も、途中から、未来のことを読んでいるような感覚になりました。

    イラ写って、とっても勉強になります。
    なおきんさんの観点にいつも刺激を受けてます。

  • こんばんは、なおきんさん。
    昨晩の女子サッカー戦、気合いが入りました。
    絶対に負けてほしくないと思ったのは、初めてでした。
    隣のK国や、C国の人とは、現在仕事でお付き合いがあります。
    もう10年ほど仕事をしていますが、クレームの事も支払いの事も、最初考えていたのとは違い紳士的できちんとした対応をしてくれますので、お互いに信頼して仕事ができていると思っています。C国からは、研修生として雇用してこちらも10年ほどたちますが、大きな問題もなく一生懸命やってくれています。
    数年前はサーズの問題で、日本が受け入れ拒否した事がありましたが、昨年の原発事故では、C国が来日を嫌がりました。
    いろんな事がありましたが、民間レベルでは、お互いを必要として、がまんしながらやってきた事が政治の取引のために、ぶち壊しですね。
    K国とC国が実際はあれほど日本の事が嫌いだった事にとても驚きました。
    そういえば、研修生の一人ともめた時にその子から日本人は嫌いだと言われた事がありました。
    それから、台湾人の人とも仕事をしていますが、彼は親日です。
    福島地震の時は、いち早く援助したのに、日本からお礼の言葉もない、と怒っていました。
    私は知らなくてごめんなさいと謝りました。
    あまり報道されていませんでしたよね。

  • 再びお邪魔します。
    過去記事を拝読していて『今日のなおきん』更新が目に入ったので。
    全てのコメントにお返事されていた事に驚きました。私の初コメはいつだったかなぁと、過去記事を読む楽しみだけでなく、自分の残したコメントを探す楽しみもできました。。。。らむ子だったりラム子だったりしたかも、ですが。
    ともあれ、ご自愛くださいまし。

  • ラム子さん、一番ゲットおめでとさまです!歴史をまるで自分たちの主張を通すためのエビデンスとして政治利用するケースは、ことのほか多いもの。そこにはすでに真実がどうであったかは、もはやどうでもよかったりもするのでしょうね。コメント、いつもありがとう!

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    はてなさん、

    日本人も政府も自衛隊も、まず韓国を軍事支配しようなどと思いはしないでしょう。でも朝鮮半島の人たちは「いつかまた」という事を教訓にしています。裁判になれば竹島は日本の領土と証明されてしまうかもしれない。1910年の日韓併合だって国際的に認められてたというし。そう思えば、国際社会もまた自分たちの利益を犯すモンスターだと思っているかもしれません。被害者妄想は、自分たちが正しいと思えば思うほど大きくなってしまいますね。

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    ニモさん、

    SARSによる、原発事故放射線による風評被害は、つくづく人間の弱さを考えずにはいられませんでしたね。SARSの時、まさにぼくは香港に住んでいて、すべての国外出張はキャンセルせねばなりませんでした。人は簡単に人を信じるし、同時に簡単に疑う。「相手が日本だととても自然に憎しみが湧くんです」かつて付き合いのあった韓国人ビジネスマンはそう言っていました。同時に「でもあなたには親しみがわく」とも。日本政府が台湾からの援助に対し謝辞を省いたのは、中国をおもんぱかったようですが、とても非礼だったと思います。

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    ラム子さん、

    はい、いただいたコメントにはすべてコメント返しをしています。開設当時から、記事本文はあくまでもお題、コメント欄こそこのブログのメインパートだと言い続けてますので。とはいえ、多忙にかまけて返事は「1週間以内」的なレスポンスになってしまってます。申しわけなく思ってます。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。