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こんなふうに味わいのあるホテルに泊まったのは生まれて初めてかもしれない。大連の中山広場にある「大連賓館(だいれんひんかん)」、中国国営の3つ星ホテルである。このホテルの歴史は、なんと日露戦争にまでさかのぼる。
日ロ戦争に勝利し、ロシアから引き継ぐ形で日本がここ、大連を租借したのは1905年。都市を完成させ、敷いたばかりの鉄道を発展させるため、半官半民の鉄道会社が設立したのは翌年。名は「南満州鉄道株式会社」という。世界じゅうの要人が泊まっても恥ずかしくないホテルをと、同社が威信をかけて建てたのがヤマトホテル。現在の価格値で27億円と5年をかけ、1914年に完成した。
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▲ 建てられて間もない「ヤマトホテル」蒸気暖房の煙突が屋上にみえる(1920年)
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▲ そしてこれが2015年現在の外観。一時はルーフに巨大な広告用LCDモニターが据え付けられ、醜い姿をさらしていたが、いまはそれが撤去されほとんど当時のままの姿にもどった
設計は太田毅、イオニア式の柱が8本並ぶルネッサンス様式。欧米人が泊まることを想定した造り、蒸気暖房やエレベーターも装備した。車寄せには鉄製の優雅なキャノピーが伸び、雨の乗降でも濡れない。当時は馬車タクシーで乗りつけたのだろうけれど。
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▲ キャノピー(天蓋)は二段造りになっている
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▲ ホテル正面左には「大連重要取引所(当時)」の建物、これも日本資本で建てられた
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▲ 朝は濃い霧に覆われていた(ホテルは左の建物)
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▲ ホテルロビーはまるで博物館のよう
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▲ 優雅な鏡台 かつては紳士淑女が身だしなみを整えたのだろうが
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▲ フロントには7都市の時間を示す時計がかけられている
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▲ 二階へとつながる螺旋階段入り口
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上の写真はいまは食堂として使われているホール。スタッフは無愛想で、なぜか腹をたてているようすだった。おそらくこの古めかしいホテルで働いていることにあまり誇りを持てないのだろう。
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▲ 一階、食堂へとつながる廊下
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▲ 泊まった部屋へとつながる廊下。幽霊が出るといううわさもあるけれど、それもなんだか自然のことのように思えてくる
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▲ ドアをあけるとそこには優雅なソファが(これは宿泊とは別の部屋)
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▲ 部屋はジュニアスイート 一泊580元(約11,000円)
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▲ 窓からは中山広場をはさんで、正面にかつての横浜正金銀行大連支店(いまは中国銀行大連支店)がみえる。横浜にある「(元)横浜正金銀行」(1つ前の記事にある写真の建物)とおなじ設計者。
建物のなかは宿命的に古いカビの匂いがあり、かすかに石炭暖房のコークスの匂いが混じる。それに濃厚な中国東北地方独特の香辛料の匂いが漂う。老朽化が進むのは仕方ないとしても、メンテナンスは必ずしも十分とはいえない。家具や調度品は、戦後なんども取り替えられたのだろう。安っぽさが否めない。シャワーは浴びているうちに温度がしだいに熱くなりやけどしそうになった。それでも、かつては名だたる名士が泊まり、各国の首脳陣が利用したホテルである。かの満州国元首、溥儀や毛沢東、金正日も宿泊し、満州事変を調べたリットン調査団一行も泊まったという。ぼくはこの博物館のようなホテルが大変気にいったが、そうでない人も多いかもしれない。よくも悪くもこのホテルは泊まる人を選ぶのだ。
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▲ 建物二階にある喫茶「大和」店内の壁には、竹下元首相や村山元首相の写真があった。中央には夏目漱石の遺影も。彼らもまたこのホテルの宿泊客だった。
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正面に埋め込まれたプレートには「1914年日本侵占的時代に建てられ、現在重点保護指定建築物に指定されている」とある。このように大連市のあちこちに日本統治時代に建てられたバロック建築がたくさん残り、それぞれ重点保護指定建築物として大事に保護されている。とはいえ、稼げるうちにしっかり建物に稼いでもらおうと現在もホテルとして利用しているところがいかにも中国的である。おかげで貴重な宿泊体験をさせてもらえたのだけど。
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「大連賓館」に、かつての面影はそのハードウエアにしかない。サービスや料理、調度品などは、中国にあるその他の中級ホテルと変わらない。それどころか経営はかなり苦しそうなようすである。無理もない。かつて満鉄が経営していたころとは時代も環境も、求められるものも大きく変わってしまった。ただこのホテルがみてきた時代の変遷は、相当ドラマチックだったにちがいない。
ホテル2階にある喫茶店「大和」。お店の看板においては、ただの場末のバーである。ヤマトホテルの面影は、そこにはまったくない。
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客もまた、そうであるが。
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大連に来たら、ぜひ泊まってみてください。
ほんとに経営が苦しそうだから、閉館も時間の問題かもしれない。これは冗談でなく、本気でそう思います。できることなら買い取って中身をぜんぶオーバーホールし、星野リゾートのようなコンセプトホテルとして蘇らせたいと思う。ていうか、だれかやってくんないかな。
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