就職難と云われて久しい。
就職氷河期時代なんて仰々しいキーワードもすっかり定着した。「若者に元気がない」のを就職できなかったり、できても給料が安いからということを理由にしたりもする。
そうかもしれないし、でないかもしれない。
たしかに面接の応募者から「100社に応募してみな落とされました」なんてことをさらっと言われれば、大変な世の中になったなあと思う。
日本だけじゃない。
いま世界中で失業者が溢れている。
先進国も新興国も、発展途上国も。
こうなるともう単純に世界人口のわりに仕事が足りないとしか思えない。あるいは仕事は減っていないが、人口増加がそれを上回っている。それとも1%のひとたちが残りの99%の人たちを搾取しているから? いろいろ調べてみたいテーマだ。
さて日本では今年(2012)、「高齢者雇用安定法」というのが改正された。定年を過ぎた従業員でも希望すれば企業は雇い続けなくてはならないというルールだ。原因は年金破綻だ*1。厚生年金の支払い開始が60歳から65歳になるから、定年後無報酬の高齢者が増えることを危惧し、定年もこれに合わせて伸ばしなさいというわけだ。
高齢者雇用安定法の改正は94年にもされた。このとき「定年60歳まで雇用しなさい」と、それまで慣習でしかなかった定年が1998年から義務化されたのだ。
就職氷河期という有効求人倍率ががくっと下がったのも、思い返せばそのころである。バブルの崩壊で景気が悪くなったのが最大理由のひとつ。ふたつめはアジア新興国の台頭で人件費を下げざるを得なくなったこと。そうしてみっつめの理由が「一度雇えば60まで解雇できない」ルールができたからだ。
正規雇用から非正規雇用へのシフトもそうだ。それまでは、社員だろうとバイトだろうと、企業は要らなくなれば従業員を解雇していた。それが「社員」についてはできなくなった。正規雇用と非正規雇用がくっきり二分化されたのも、それからだ。「派遣切り」が問題なんじゃない。社員が切られなくなったことが問題だ。
企業が生き残るのはとても厳しい。
あらゆる競争にさらされ、革新的な商品やサービスを出し続けなければ、淘汰される。それがベンチャー企業であっても大企業でさえも。従業員もそれに合わせて競争にさらされるべきだが、なぜかそこだけユートピア?な 高齢者雇用安定法。新しいスキルには古いスキルがじゃまになることもある。それを固辞する大先輩たちがのさばるおかげで、新しいスキルをもった新しい人達が雇えない。そんな企業が成長できるのか?と痛切に思う。
「一度雇ったら60歳までクビにできない」というルールは、このたび「65歳までクビにできない」となった。雇用できるイスの数は変わらない。いやむしろ減っている。どうなるか? 新卒の採用をためらうだろう。採用しなくても罰せられないが、クビにすれば罰せられるからだ。採用されない若い力も不幸なら、目先の不都合に阻まれ、欲しい人材を雇用できない企業もまた不幸である。
そんな企業の集合体である日本はどうなってしまうのか?
ぼくも50近いオジサンだ。
どちらかといえば高齢者雇用安定法に守られる立場である。だから言うが、こんなものいらない。そんな既得権に甘んじることなく、クビにされないよう、いや事業くらい自分で起こせるよう勉強を怠らず、風を読み、切磋琢磨する。それがオジサンやオバサンの義務なのではないか?
気づけば高齢者ばかりに都合のいい法案ばかり通る日本。そりゃそうだ。権利は若者よりお年寄りたちの方にある。そんな権利ばかりを行使しては、自分たちを守る法ばかり作る老人たちにこの国を任せていいものかと思う。
さて16日は選挙。ぼくも投票に行く。
企業が安心して人を雇用するためには、同時に安心して解雇できるルールが必要だ。たとえば「金銭解雇」もそのひとつだろう。そんな労働市場を流動化を覚悟した政治家は、果たしているんだろうか? 国の成長には流動化が必須である。官僚もしかり。米国がそうしているように政権が変われば課長クラス以上の官僚も入れ替えをするくらいの流動性が必要だと思う。
若い人がどんどん参加できる政治。
まずはネット選挙の実現か。
*1:年金破綻:もちろん政府は破綻しているなどと言わない。でも支払うお金が足りなくなって積立年金を取り崩し、税金で補填をしながら賦課方式でやっていること自体、年金はとうに破綻している左証だとぼくは思っている。結局のところ大盤振る舞い過ぎたのだ。
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