先人を褒めると先生に叱られた

毎年、8月になると前の戦争を思い出す習性がぼくたち日本人にはある。2つの原爆記念日終戦記念日、お盆のお墓参りなどのイベントがそうさせるのだろうか。戦争映画が封切りされるのも8月前後が多い。

このとき「戦争を反省し平和を誓う」というのがテーマとなる。
気になるのは「日本が戦争を起こさなければ」という前提だ。平和憲法のタガが外れればたちまち日本が戦争を起こす。そんなすり込みがいつの間にかされている。戦争が終わり、68年間。日本人が起こさなかったからといって、各国各地で戦争は起こらなかっただろうか? 1945年をはさんで、その前の70年よりその後の70年のほうがはるかに戦争は起こった。また、はるかに大勢の人が死んだ。日本人が反省させられている間、世界はどう変わったか?

戦後、片時も休まず「日本は悪いことをした」と教え続ける日本の教師と新聞。ぼくたちはそんな日本に生まれ育った。ろくに教科書も新聞も開かなかったぼくだけど、日本は世界に謝り続けなくてはならないと信じていた。大人になるにつれ、どうもおかしいと気づき始める。やがて確信に変わり、あの歴史観はやっぱりどうかしてると思うようになった。

日本人は概して奥ゆかしい。
そのこともあって「自分のことを自分で褒める」ことを嫌がる習性がある。気づいても、自分では言いにくい。あの戦争はやむを得なかったし、ましてや反省して謝罪するなど必要ない。むしろ戦争目的のひとつである「欧米からアジアを取り戻す」を達成したではないか。そんなこと口が裂けても言えない日本人に代わって、著名な外国人たちがメッセージを残してくれていた。いくつか引用してみる。

マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック(元上院議員)
日本は長い間、各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないと諦めていたアジアの民族に感動と自信を与えてくれました。長い間眠っていた「自分たちの祖国を自分たちの国にしよう」という心を目覚めさせてくれたのです。

アメリカ ニミッツ元帥(太平洋艦隊司令長官)
この島を訪れるもろもろの国の旅人たちよ。故郷に帰ったら伝えてくれよ。この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。その壮絶極まる勇気と祖国を思う心根を!

イギリス スリム中将(イギリス第14軍司令官
たたかれ、弱められ、疲れても、自身を脱出させる目的でなく本来の攻撃の目的をもって、かかる猛烈な攻撃を行った日本の第三十三師団のごときは、史上にその例をほとんど見ないであろう。

韓国 朴鉄柱(韓日文化研究所)
現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最期まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争大東亜戦争。この2つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国明の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスを始めとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ買ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者はたしかに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。

マレーシア ガザリー・シャフェー(元外務大臣
日本はどんな悪いことをしたというのか。大東亜戦争マレー半島を南下した時の日本軍はすごかった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思った。日本は敗れたが英軍は再び取り戻すことができず、マレーシアは独立したのだ。なぜ日本人が謝るのでしょうか?あの大戦でマレーシア人と同じ小さな身体の日本人が、大きな身体のイギリス人を追い払ってくれたではないですか。日本なくして東南アジアの独立はありませんでした。この日本が払った尊い犠牲を否定することは、バックミラーばかりを見ているようなものです。

オランダ エドゥアルト・ヴァン・ティン アムステルダム市長
あなた方の日本国は、「アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない。アジアの諸民族に大変迷惑をかけた」と、自らを蔑み、ぺこぺこと謝罪しています が、これは間違いです。あなた方こそ、自らの血を流して、アジア民族を解放し、救い出すと言う人類最高の良い事をしたのです。何故ならば、あなた方の国の 人々は過去の真実の歴史を目隠しされて、先の大戦の目先の事のみを取り上げ、或いは洗脳されて、悪い事をしたと自分で悪者になっていますが、ここで歴史を 振り返って真相を見つめる必要があるでしょう。

タイ タナット・コーマン (元副首相)
あの戦争によって、世界の至る所で植民地支配が打破されました。そしてこれは、日本が勇戦してくれたお陰です。新しい独立国が、多くの火の中から不死鳥のように姿を表しました。誰に感謝を捧げるべきかは、あまりにも明白です。

インドネシア モハメッド・ナチール(元首相)
アジアの希望は、植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私達アジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。もしあの時、私達に軍事力があったなら、私達が植民地主義者と戦ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。

]インドネシア サンパス(元復員軍人省長官)
とくにインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍とともにオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍基地に祀り、功績を讃えて殊勲賞を送っているが、それだけですむものではない。

]インドネシア ブン・トモ(元情報相)
日本軍が米蘭仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりを見てアジア人ぜんぶが自信を持ち、独立は近いと知った。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。

インド ネール(初代首相)
彼ら(日本)は謝罪を必要とすることなど我々にはしていない。それ故、インドはサンフランシスコ講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない。

インド グラバイ・デサイ(インド弁護士会会長)
インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで30年早まった。この恩は忘れてはならない。これはインドだけではない。インドネシアベトナムをはじめ、東亜民族はみな同じである。インド国民はこれを心に深く刻み、日本の復興には惜しみない協力をしよう。

ビルマ(現ミャンマー) バー・モウ(元首相)
日本ほどアジアを白人支配から離脱させる子tに貢献した国はない。しかしまた、日本ほど誤解を受けている国はない。

インド チャンドラ・ボーズ(国民軍裁判主席弁護人)
日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに参加することを可能にした。

タイ ククリット・プラモード(元首相)
日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした、日本というお母さんがあったためである。12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意をされた日である。さらに8月15日は、我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々はこの2つの日を忘れてはならない。

アメリカ ベン・ブルース・グレークニー(東京裁判弁護士)
原子爆弾という、国際法で禁止されている残虐な武器を使用して、多数の一般市民を殺した連合国側が、捕虜虐待について、日本の責任を問う資格があるのか。

インド パール判事東京裁判判事・法学博士)
私の判決文を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙をあえてしたのだ」と教えている。満州事変から大東亜戦争に至る真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。

まだまだあるが、ひとまずここまでにする。
以上の言動は戦後間もないころに違いないが、まるで先回りして、いまなお洗脳されたままでいる日本人に諭してくれているようではないか。中国や韓国、北朝鮮などは年を追うごとに激しく、なりふりかまわずあることないこと日本を非難しているけれど、そのことはもう彼らの問題であって、ぼくたち日本人の問題ではない。だいいち、日本が戦った主敵は中国国民党軍であっていまの共産党軍ではないし、韓国・朝鮮に至っては同じ「日本将兵」として戦った仲間であった。諸外国はいい。それより、なによりも戦後の日本人がいったいなんの視座と権限を持ちあわせて、あの時代の日本人を悪く伝え続けているのか? 生きるのに精一杯だった時代にも関わらず、自分たちだけの都合だけでなく後世の日本人やアジア諸国のことまで考えながら、精いっぱい奮闘していた日本人のことを。

そのようにして培った尊敬と信用という遺産を食いつぶしながら、あぐらをかく。そんな品性のない今の日本人のほうがよっぽど反省し謝罪すべきだと思う。恥を知るのは自分たちのほうだったと。

たとえば靖国神社に参拝するのは、そのことを伝えに行くためだ。戦争美化でも、ましてや自分の願いを叶えてもらおうとするものではない。

おまけ

現在マレーシアの中学校が使っている国定教科書。左上に「イギリスから私達を助けて下さい」と少女が言い、日本兵の手を掴もうとしているイラスト。コタバル(マレー半島)から上陸した日本帝国陸軍が進軍しているようすが書かれている。日本が英国を追い出して行くさまを子供に伝えている。中国、韓国、いや日教組がくやし涙を流しながら抗議しそうな内容である。マレーシアは概ね親日なのはこんな歴史教育によるところもあるのだろうか。

6 件のコメント

  • こんなにたくさん、集めてくれてありがとう。1つ、2つ、3つ、4つだったら、それほど驚かないけど、こんなにたくさん読ませてもらうとさすがに感動する。うちの父がよく似たようなことをもっと下世話な言葉で言っている(笑)。いつも私たちに誇りを持たせてくれてありがとう!

  • なおきんさん
    おはようございます。
    読んでいて涙がでました。
    私の故郷鹿児島にある知覧特攻平和会館に行かれましたか?
    常に多くの人が訪れる場所、私も何度も行っています。
    是非行ってみてください。
    暑中見舞いステキ!
    あんなのが本当に届いたらキャーって叫んじゃいますね〜♪

  • ツアーコンダクターの人が、オランダで知らないおばさんにいきなり呼び止められ、「私の家族はインドネシアのプランテーションで生活をしていたが、いきなりやってきた日本軍に何もかも奪われた。」という話を聞かされた、と本で読みました。直接、日本軍による被害を受けたと感じる人達の恨みはあるでしょう。バターンの捕虜移動、「戦場にかける橋」の原作者や、マウントバッテン卿などが、わかりやすい例でしょうか。あとはインドネシアの現地住民が、確か炭鉱労働で徴用され、当時の軍隊式で労働させられた結果、日本人を見ると反射的に気を付けの姿勢をとってしまう(でないと殴られた)という話も。トラウマですかね。これも本ですが。

    ただ、これらも当事者の一方的な言い分です。当時の白人農場主のプランテーションが、現地住民にとってどのようなものだったか。バターンからの移動には、トラックなどが全く足りず、日本軍兵士も同条件で歩いていたのに、何故捕虜虐待と呼ばれるのか。卿の日本嫌いは、黄色人種ごときに苦戦させられたという意識から来たものではなかったか。捕虜労働や、現地住民徴用の話は…当時の日本人の労働の仕方をそのまま当てはめた結果ではないかと。そういえば、フィリピン軍政のサトウキビ栽培などは、激しかったアメリカのプロパガンダが無くとも、現地住民に大変評判が悪かったそうな。言い分も、当事者のどちら側に立つかで随分と変わってしまうのに、今は一方的に言われているのが悲しいところです。

    私は、前大戦が自存自営、国防のための戦争であり、侵略戦争であったとは思えません。ただ、大東亜共栄圏などは、南方進出前の大義名分にすぎないと思います。占領後、戦局が悪化するまで各国の独立要請を認めず、各地で日本軍政やインドシナのフランス統治が続いていたので。
    しかし、日露戦争でも、前大戦でも、アジア人が白人に戦闘で連戦連勝した事は、当時のアジアの人々に、相当大きな影響を与えたのでしょう。「俺らにもできる」というような。ネルーさんも日露に言及してましたね。なおきんさんが挙げたとおり、色々な人達が日本を擁護してくれている。それだけでも、単なる侵略戦争とは違うものであったのが分かります。

    なので私は、金子堅太郎さんの演説を拝借してこう言いたい。「かつて東洋に、米国の侵略に対し敢然と立ち向かった一小国があった。」

    原爆被害者含む、全ての戦死者のご冥福を。

  • 日本史や世界史を勉強していくと必ずといっていいほど教科書等の表現に「??」が出てきます。当時の状況、各国の利害などから想像していくと、『戦前の日本は悪かった』とは言えない、むしろアジア諸国の開放、インフラ整備に一役買っていることなども知ることができました。
    そのなかで今回の記事。
    当然ながら戦争によって犠牲となった多くの尊い命があるので、戦争を肯定することなどありえませんが、日本はもっと世界に真実を伝えることを行ってほしいと思います。所詮、敗戦国ですから耳を傾けてもらえないかもしれませんけどね・・・。
    韓国の国会議員団の竹島上陸。「どんなに妄言、歪曲を日本が行っても・・・」などと言っていたようですが、そっくりそのまま返してあげたい発言ですね。『反日』でしか国民の支持を得ることができない東アジアの隣国。しっかりと日本政府も世界に豊富な資料に基づき説明を行ってほしいものですね。いろんな場面で相変わらず後手に回っているような気もするので・・・。

  • なおきんさん、こんなにも集めていただきありがとうございます。
    日本人は自慢が苦手です。海外の方からの言葉が黒船のように外から日本を見直すきっかけになると思います。
    本当に日本の戦争がきっかけで独立した国々が、感謝の言葉を述べているのを聞くと、戦死した方々も多少でも慰められるのではないかと思います。

    今日ぐらいは英霊に黙とうをささげようと思いました。

  • こんにちは、なおきんです。15日に行われた全国戦没者追悼式の式辞で安倍首相が「アジア諸国に対する加害責任云々を言わなかった」と、中韓やその代役を務める日本の新聞らが大騒ぎしてますね。そもそも「アジア諸国に迷惑をかけた」云々は、1993年までどの首相も言っていなかったのをとつぜん細川元首相が言い始め、綿々と昨年まで踏襲されていました。これを1992年までのそれに戻しただけの話です。そもそも戦没者に向かって「あなたたちはアジア諸国に迷惑をかけた」と追悼すべきでしょうか?それからアジア諸国って何十もあるけど、文句を云っているのは中国と韓国だけ。こうした政府は自業自得で、反日でいないと政権が維持できないからそうしてるだけです。日本の新聞は、いいかげんに靖国参拝だの式辞がどうのを争点にするのはやめませんか。事の本質を見失ってるのだから。国民はお世話になった先人に静かに追悼したいのです。
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    さっちゃん、一番ゲットおめでとさま!
    まだいっぱいあるけど、きりがなかったので。でもさいごにひとつ、彼がなければ今頃日本は分割されていたかもしれない重要な国があります。それはスリランカ初代首相。あらためて記事にするね。
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    risaさん、
    知覧特攻平和会館、いきましたよ。たしか高校二年生の時。「自分の命と引換えに、ひとりでも多くの日本人の生命が救えるならば」と、南海にちった命を忘れてはならないと思いました。
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    楽庵さん、
    力作コメントありがとさまです。とても読みがいがありました。いわゆる欧米の植民地政策と、日本の皇民化政策は、まるで逆ですね。前者は搾取する土地と奴隷、後者は産業発展する土地とそれにふさわしい国民づくり。お仕着せがましく反発も多かったでしょうが、日本が統治して委託には戦後、引続き発展していきましたよね。
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    mu_ne_2さん、
    そうですね。これから日本はもっと世界に向かって身の潔白と、事実関係をアピールしていかねばなりません。嘘で塗り固めた虚実を伝えるどこかの国より、真実を伝えることのほうが本来付に落ちるはず。日本人の美徳とずれるかもしれませんが、国際社会を相手にするならこれも織り込まないといけませんね。
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    おととさん、
    昨日いつものように靖国神社にお参りに行ったのですが、今年は例年以上に人が多かったですね。中韓や日本のメディアが騒ぐから、よけい戦没者に対して敬意を表明したいと考える日本人が増えたのかもしれません。だとしたら中韓もメディアも自分たちのやっていることは逆効果だったと知るべきですね。やれやれ。

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    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。