母親が家を出ていったのはぼくが5さいのとき。
身の回り品と化粧品、着物や洋服、それから写真アルバムを4冊。
待たせてあった車にそれらをつめると、泣きながら出ていった。
そのアルバムには家族の、
そして4歳までのぼくの写真が貼られていた。
ひとりアパートで暮らし始めた母は
寂しくて辛いとき、このアルバムを開いては泣いたのだという。
どれだけ帰ろうと思ったことか・・ 後日母親はそういうが、
じゃあなぜ帰って来なかったんだと、今でもつい責めたくなる。
だが母親にしたところでいろいろな至りがあったのだろう。
当時、彼女はまだ26歳。分別をつけるにはまだ時間が必要だ。
▲ 原爆ドームそばで
▲ 妹ができてはしゃぐ。一緒に暮らしたのはわずか3年足らずだったけれど
▲ 妹(左)登場。中央がなおきん。母親が出ていったのはこの頃だった
■ 元祖イラスト写真 by オトン
これらの写真アルバムの存在を知ったのはぼくが11歳のとき。
懐かしがるには若すぎる年たが、どうしようもなく懐かしかった。
家族4人が暮らしていた短い年月が、そこにあったから。
▲ クレヨンかクルマのおもちゃを与えていれば静かだったという
あんたは好きなものをみつけたら頑としてその場を動かんかった
老いた母親はまるで昨日のことのように、ぼくに話す。
それは違う、とぼくは思う。
出ていく母親の後ろ姿を、ぼくは追わなかった。
泣きわめきもしなかった。
泣きそうになるのを、テレビのことを考えこらえていたのだ。
まもなく始まるウルトラマンの再放送のことを。
地球の平和に比べれば、家族なんてちっぽけな・・
などと思っていたかどうかは知らないが。
写真は不思議だ。
古くなるほど、やさしくなる。
・・
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