カウナス《リトアニア》

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ラトビアのリーガを正午に出発したバスは、数時間後、リトアニアのカウナス市内にようやく到着した。時計をみると16時40分。バスを飛び降りるやいなや広場を駆け抜け、停まっていた一台のタクシーに飛び込む。
 
「ヴァイジュガント通り30番へ!」
 
スキンヘッドの運転手は大きくうなずく。目指すは元日本領事館、杉原千畝記念館である。ただし閉館は17時。せっかくここまで来たのだ。まにあって欲しい。
 
果たして10分後、タクシーは閑静な住宅街を走りぬけ、1軒の地味な民家の前に停まった。これが領事館? と思うようなこじんまりとした建物。入り口に門があり「希望の門, 命のビザ」と書かれていた。日本語で。
 
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杉原千畝(すぎはらちうね)。
10年前に知る人は少数派であったが、いまじゃ「ビザを発給し6000人ものユダヤ人をナチスから救った日本人」として、すっかり有名である。個人的にはこの言いまわしは好きじゃないが「東洋のシンドラー」とも呼ばれる。
 
杉原がここ、リトアニア領事として臨時首都カウナスに赴任してきたのは、1939年9月。まさにナチス・ドイツがポーランドへ攻め込み第二次世界大戦が勃発した月のことであった。だがふつうなら在留邦人なんていないリトアニアに、領事館なんて必要ない。理由はそれを対ソ連の諜報機関の拠点として使うため。杉原はソ連の軍事情報を集め、ドイツがソ連と戦うかどうかを調査する諜報外交官であった。同じ時期、日本とソ連はモンゴルの奥地で戦争をし、休戦したばかりだった。この戦闘を日本では「ノモンハン事変」などと呼ぶが、りっぱな二国間戦争であった(ソ連では「ハルハ川戦争」と呼ばれる)。ソ連側は敗けた日露戦争の復讐戦のつもりで戦っていた。日本は中国とも戦争をしていた。翌々年にはアメリカやイギリスとも戦争をすることになる。きな臭い時代であった。政府も軍部もピリピリしていた。
 
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▲ 元在リトアニア日本領事館(杉原記念館)正面 まるで普通の民家のようにこじんまりとしている

 
ホロコーストまっただ中のポーランド、国境の西にはドイツがあり、ドイツが占領する国ばかり。ユダヤ人たちがナチスが迫る国内から外へ逃げようとすれば東の方角、欧州を離れシベリア鉄道を経てから日本へ。さらにそこからアメリカなど第三国へ脱出するほかなかった。彼らが日本領事館に助けを求めたのはそんな背景がある。
 
杉原が発給した最初のビザはポーランド軍人600名。これは日本政府が発行を要請したものである。これを知った他のユダヤ人たちが、日本ならビザを発給してくれるんじゃないかと殺到した。通常トランジットビザをだすには、渡航先の滞在ビザと渡航に必要な所持金が条件となる。杉原はこれを人道的な理由で無視した。でないとユダヤ人はナチスに捕まり、強制収容所へ。杉原はそこでなにが行われているかをも知っていた。自分の発給する一枚のビザが一人の命を救う。迷うことなく彼はビザを発給し続け、腕がしびれ書けなくなっても署名し、スタンプを押し続けた。彼の地を占領したソ連軍に追われ、駅へ移動している間も、さらに列車に乗り込んだあともビザを発給し続けた。愛と勇気と体力と信念がなければできないことだった。
 
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▲ 元在リトアニア日本領事館(杉原記念館)裏庭には杉原千畝が植えたといわれる林檎の木があった。林檎たちはここでどんな歴史を見ていたのだろう。

 
だが美談はここで終わらない。
 
ユダヤ人にしてみれば、ビザが発給されたからといって助かる見込みは半々である。まずソ連を通過せねばならない。シベリア鉄道の終点はウラジオストク。そこの日本領事館で手続きを済ませ、フェリーに乗り換える必要がある。ウラジオストクの日本領事館は予め外務省から通達を受けていた。
 
日本の官憲がヨーロッパから避難してくる人々に与えた通過許可証は、あなたのところやソ連の大使館でもう一度調べて、行先国に入る手続きが終わっていることを証明する書類を提出させてから、船に乗るの許可を与えること
 
もし通説通り杉原が外務省に抗ってビザを発給したなら「その通貨許可証は有効ではない」と一蹴されてもおかしくない。ユダヤ人たちはソ連国境で路頭に迷い、命を落とすかもしれなかった。史実はもちろん、そうならなかった。通達には「行き先国に入る手続き(渡航先国の滞在ビザ等)があるかどうか調べよ」とあるだけだ。だがウラジオストク領事代理であった根井三郎は、それすらしない。次々に到着するユダヤ人たちをろくに調べもせず、漁業関係者にしか発給しない日本行きの乗船許可を与えたのだった。
 
ユダヤ人たちを乗せた船は神戸に着いた。
杉原や根井が無断で許可したビザを、ここでも政府は入国拒否などせずに彼らを受け入れ、ビザに書かれている通り30日間の滞在を許し、渡航先のアメリカやカナダへ送り出したのだ。
 
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杉原千畝がビザ発給につかった執務机 思いを馳せながらちょっと座ってみた

 
ユダヤ人たちが神戸についたころはすでに日独伊三国同盟が結ばれていたが、ユダヤ人排斥については政府も軍も一般民衆も、日本人は同盟国ドイツに倣わなかった。というのが実情である。杉原千畝はすばらしい人物であった。ならば、命のリレーを受け継いだ名もなき人たちもまた同様に、すばらしかったのだ。
 
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▲ カウナス駅のホーム 杉原千畝はここに泊まる列車の中でも1000人以上のビザを発給し続けていた 列車が発射し始めてもまだ。ひとりでも多くの命を、と・・ 

 
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▲ 杉原は会社の名前にもなっていた?(リトアニア ビリニュスにて)
 
 


「杉原千畝 スギハラチウネ」予告2 – YouTube

▲ 映画化もするようです。公開は2015年12月

 

3 件のコメント

  • わずか1時間足らずのカウナス滞在でしたが、後で聞いた話によるとトップのイラストの背景にあるカウナス駅のプラットフォームで、杉原千畝の記念プレートの除幕式が9月4日に行なわれたようです。ぼくがいたわずか4日後のことでした。・・などと自分でコメントしてみました。このごろコメント返ししないせいか、コメントがめっきり減りました。自業自得ですね。

  • 素晴らしい人物って 謙虚な方が多いですね。ましてや他国で人のために尽力された方を知る人は少なかったのかも。(単に私の不勉強なのでしょうけれど)
    謙虚で強靭な精神と愛に満ちた優しさ。 除幕式、残念でしたね。 映画化されましたら是非観たいと思います。 

  • 「命のビザ」ようやく 世界記憶遺産に申請されましたね。再来年に登録になりますように!

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    なおきん

    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。