リメンバー・パールハーバー

f:id:naokin_tokyo:20100105001353j:image

 

1941年12月、日本とアメリカとの間で戦争が起こった。
このことは学校で習った通りである。

けれども、「戦争をけしかけたのは日本ではなくアメリカであった」といわれれば、意外に思うかもしんない。
軍国主義の日本はハワイに奇襲をかけてアメリカと戦争を始めた」教科書には、きっとそんなふうに書いてあっただろうから。

 

今も昔もアメリカはあちこちで戦争をしている。
また、兵士を送らずとも兵器は送っている。

なぜか?

国益になるから」 それだけである。
人道も、民主主義も、経済合理性も、覇権も、そのあとの話だ。

 

逆に言えば、国益にならなければ、人道も、民主主義も、経済合理性も、覇権も、あり得ない。
よくも悪くも、それがアメリカという国の本質である。いかなるときも目的と手段を履き違えないのが、この国のすごいところだ。

 

しかも「国益」の享受者は必ずしもアメリカ国民全員ではない
というのがややこしい。 このテーマは実にややこしいのだ。
しかしアメリカの「戦争の始め方」はいつもワンパターンである。

1.兵器を送って、他人に戦争させる
2.爆弾を落として、敵の戦意と国力を低下させる
3.時間を稼いで、圧倒的な数の兵隊を戦場に送る

アメリカとの開戦の4年前である1937年、日本と中国との間に戦争が勃発した。このとき中国兵が戦っていた兵器や軍事物資はアメリカ製であった。さらに航空機に至っては米国はパイロットごと中国に派遣していた。 中国(国民党)と日本を戦わせたのは、ソ連の命による中国共産党の陰謀だ。 そして中国に日本との戦争をやめさせないうようにしたのはアメリカである。

 

なぜか?
当時、極東アジアにおける日本の台頭は、彼らの国益を失わせる存在であった。 よって米英ソが共通する利害は「日本を直接たたく前に弱らせておく」ことで一致したからでる。

 

ある国の為政者が戦争を始めたいと考えても、そう簡単には発動できない。 それには大義名分が必要なのだ。 これはどんな戦争においてもだ。 テロやケンカならともかく、戦争は最も高度な政治的手段のひとつである。 「軍の暴走」なんかじゃけっして戦えない。兵も人の子、家族がいるのだ。
繰り返す。
戦争には自他共に説得できる理由、大義名分が必要だ。

 

1930年代、ドイツはベルサイユでの屈辱を利用し、ソ連コミンテルンを、中国共産党は貧しい農民を救うことを、日本は欧米植民地からのアジア解放を、アメリカは民主主義をうたうなど、それぞれ戦争の大義名分を得ようとした。

 

1932年の大統領選でルーズベルトは国民にこう約束した。
「あなたがたの息子を戦場に送ることはぜったいにしない」と。
第一次大戦を経て、欧米諸国民は戦争はもうこりごりだった。
そのことは戦後の日本を思えば、容易に理解できるはずだ。

「なんでアメリカが他国の戦争に首を突っ込まなくちゃならないんだ」と考えるアメリカ人はとても多く、だからルーズベルトは当選したのだ。

 

しかし1940年になると、この当選理由があだになった。
その頃ナチスドイツはベネルクスとフランスを降伏させ、破竹の勢いで英国に、翌年にはソ連に対しても優位に戦っていた。
「このままだとヨーロッパはドイツのものになる」
するとこんどは大西洋が危ない。自国の通商海域である。
ルーズベルトは焦った。
けれども「親の心、子知らず」である。 米国民は自国が参戦するのを嫌がった。

アメリカは星条旗が犯されないと戦争を始められないのだ。
これは今なお変わらない。 9.11を例にあげるまでもなく。

 

ドイツにいくら戦争をけしかけても全然乗ってくれない。 ヒトラーは前大戦の蹉を踏むことを恐れ、アメリカの挑発には乗らない。

 

そこでドイツの同盟国日本。 ルーズベルトは矛先を変えることにした。 いずれにしても日本とは、やり合わなくてはならない相手だった。 やつらに星条旗をけがさせられれば、報復として開戦の大義名分ができる。

 

そして、その通りになった。

■ 潜水艦バウフィン号
f:id:naokin_tokyo:20100105001736j:image
▲ もっとも日本の艦船を沈めた潜水艦として英雄的存在。これ1隻で4〜5万人の日本人将兵が殺された。その中には沖縄から長崎へ疎開しようと子供や女性たちの乗った輸送船をも含まれる。
f:id:naokin_tokyo:20100105001755j:image
▲ 艦橋部分に描かれた撃沈マーク。(記録には44隻沈めたとある)
f:id:naokin_tokyo:20100105002714j:image

▲ 潜水艦内の魚雷発射装置

このころ、アメリカは日本の暗号文はすべて解読済みだった。 この事実をないがしろにしている文献があまりに多いが、事実だ。 日本海軍の航空機による真珠湾攻撃にしても、もれなく察知されていた。 ていうか、アメリカ側は自国が攻撃されるよう、あらゆる手段でけしかけた。 (戦後明らかになったが)むしろ攻撃が成功するよう、手助けすらしていた。

 

あとは攻撃が「だまし討ち」によって引き起こされるようにするだけだった。 でなければアメリカ国民は、議会は、ぜったいに開戦に賛成してくれない。

 

もともと日本側に真珠湾攻撃を「だまし討ち」する計画はなかった。 最後まで和平交渉をあきらめなかったし、11月に出港した空母機動部隊にしてもアメリカとの和平が成立すれば、攻撃せずに日本に引き返すことになっていた。

そもそも日本政府は国際ルールにのっとり、「宣戦布告」をしてから戦闘状態にはいるつもりで準備していた。 しかし外務省がチョンボをしでかした。 ワシントンの駐米大使館である。
「この暗号文を翻訳し、もって翌朝7時までにワシントンに伝えよ」
と本国から厳命されていたにもかかわらず、同僚の送別会で前夜に大酒食らい、こともあろうに朝遅刻し、「宣戦布告文」をアメリカに伝えるのが遅れたのだ。何でよりによってこんな時期に送別会などのんきなことをやっていたのだろう?
そして結局、宣戦布告文のはいった書簡を米国側に手渡したときは、時遅くすでに真珠湾攻撃が終了した後であった。

日本はこれでヒール役(悪者)となった。

「リメンバー・パールハーバー」が意味するのは、卑劣なジャップによって星条旗が「だまし討ち」された日のことをいう。 あろうことかアメリカ人が最も嫌うやり方で日本は戦争を始めてしまったのだ。
その日、米議会は満場一致で日本との開戦に賛成した。
ルーズベルトは始終機嫌が良く顔がほころんでいた、と側近が後日漏らしている。 そりゃそうだろう。 ここまで首尾よくことが運んだのだ。

f:id:naokin_tokyo:20100105003911j:image

▲ 対日宣戦布告文に署名するルーズベルト大統領

苦渋の決断で開戦せざるを得なかった日本側とは大違いである。 直前まで日本は、ソ連を仲介してまでも開戦を避ける努力をしていたのだ。

 

よく「あの戦争は無謀だった」といわれる。
が、ぼくはそれには与(くみ)しない。
それは日本が戦争に負けたからいうのだ。後出しジャンケンだ。
「昨日のことは、昨日の目で見る」
これが歴史に触れるものの共通したルールである。

1941年当時の日米の軍事格差は、1904年時の日露の軍事格差よりも小さかった。 それどころか空母の量やゼロ戦パイロットの質などは英米に勝っていた。

f:id:naokin_tokyo:20100105003959j:image

真珠湾攻撃に参加した零式艦上戦闘機21型(実物)、当時世界一の戦闘機だった

彼我の国力や軍事力だけを見れば、日露戦争でロシアに負ける確率のほうが高かったのだ。
でも日本はロシアに勝ち、アメリカに負けた。

 

なぜか?
「だまし討ち」にはじまり、欧米を相手に日本は孤立していたからだ。 欧米を相手にひとり立ち向かった日本を、アジアやアフリカの人々は喝采した。 けれども日本を支援するには、彼らはあまりに長く力を奪われすぎていた。

 

太平洋戦争、日本にルール違反があるとすればそれは「始め方」であった。 戦争自体では、ない。 すべての国には交戦権が認められているからだ。

f:id:naokin_tokyo:20100105002228j:image
▲ いまも当時の弾痕の跡を残すフォード飛行場にある管制塔

結局のところ、勝敗の要になるのは「情報戦」の考え方である。 アメリカは巧みにこれを利用し、日本はそれを潔しとしなかった。 日露戦争ではあれだけ「情報戦」を重視した日本が、である。

f:id:naokin_tokyo:20100105002354j:image
▲ 足下には日本海軍航空機の進入経路が【軍事博物館】

真珠湾攻撃が「だまし討ち」でなければ、米国市民の戦意をあそこまでかき立てはしなかっただろう。 ともすれば、和平交渉で戦争を一年かそこらで終わらすことはできたのだ。
あそこまでの空襲を、少なくとも原爆の使用を米国民は許さなかったはずだ。

 

となれば、悔やまれるのは「開戦前夜の駐米大使館の酒宴」である。 外務省官僚は今も昔も、相変わらず国民のほうを向いていない。
しかしこれにも異論がある。 あの酒宴すらアメリカに「仕組まれた」可能性があるとぼくはみている。

f:id:naokin_tokyo:20100105003049j:image

真珠湾攻撃によって沈められた戦艦アリゾナは当時のまま残されている【アリゾナ記念館】
f:id:naokin_tokyo:20100105003233j:image

▲ 68年経ったいまも1177名の乗組員がこの海底に眠る墓場である。その怨念か、いまだに艦内のオイルが漏れて海面に浮かぶ。【同上】

いずれにせよ、日本の敗因は国力ではなく「情報」である。
ここでいう「情報」とは、「生存のための合理精神」に基づくことをいう。

 

2010年、日本はいまだに「情報戦」で負け続けている。

 

ハワイ諸島オアフ島パールハーバーの地にぼくは立ち、日本がアメリカにしてやられたことを忘れるべきでない、と強く思う。

 

リメンバー・パールハーバー
政治の都合で、史実を差し替えられた歴史。
そのことを、ぼくは決して忘れない。

 

長い記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。これでも、原文の3分の1までスリム化しました。

 

人気ブログランキングへ←ひとつポチッと押してもらえるとうれしいです

11 件のコメント

  • 開戦前夜の駐米大使館の酒宴って、やっぱり、仕組まれたのじゃないのかな。日本人って、つくづく、おめでたくてお人よしだと、外交に関してはいつも思う。島国な上に、鎖国なんかしてたもんだから、ナイーブで、のんびりした気取り屋で、案外(というか当然?)確固たる外交方針なんかないように思える。これからも、翻弄され続け、いつかぼろぼろになるかもね。

  • 明けましておめでとうございます♪

    ハワイって安全でしたか?ってもいろいろ歩き回る時間は無かったかも知れませんが・・・。 私が少ない日数(二週間)でアメリカで実感したことは、怯えた、恐怖の空気が漂ってる国だということです・・何故だかカナダに着くまで心落ち着きませんでした(私だけ???)・・他国ではどうも無かったんですけどね。。。

    日本はこれから正念場ですねぇ・・何年続くでしょうか?

  • なおきんさん、お疲れ様でした。
    説明、すごく分かりやすいです。

    どちらにしても、アメリカ国民も日本国民も
    そして世界の国民も一部の戦争屋に騙されて
    いるという事ですよね。
    民間人は戦争で何一つ得をしない。
    お金なんて、物々交換をしなくても社会がまわる
    紙切れであって、それが必要であれば貴族ではなく
    国民からなる国が紙幣を発行すれば良いだけの事。
    しかし、現在はそれを発行しているのはアメリカも
    日本も、1民間会社でしょ?日銀などは上場まで
    しちゃっている。大株主は誰?株主を全て見れない
    のはそもそも問題なのですよね。
    日本銀行券を辞めて、日本政府紙幣でも発行して、
    +ベーシックインカムなどで全ての人に平等な
    社会福祉を用意すれば、年金も、生活保護も、
    その他いろんな補助金も必要なくなり、事務費
    (つまりそれも税金)が莫大に浮きます。
    金貸しに金をかりなくても誰もが普通レベルの
    暮らしができる事は大切で、+あるふぁーで
    皆何かしら出来る事で働くでしょう。
    パートの人、バリバリ働いて家を建てる人、
    起業する人、生活のベースが保障されていれば
    新しい産業も生まれるのですよね。
    頭の中に新しい事を考えるスペースが出来るから。

    戦争などは、一部の戦争屋のうちの家業はこれだという
    固定概念と、パワー部分のいう事を聞いて賃金を貰う
    という奴隷的マインドの結びついた負の遺産なのでしょうね。しかも、日本は島国と言う昔は地理的不利な面が
    あったとはいえ、ネットの時代になっても、国家的情報
    網を持たない。

    その場合、やはり、国民自らが賢くなるしかないのですよね。そして、それをシェアする。
    それは、移民など受け入れなくても、そして旅行など
    しなくても、もうできる事なのかもしれませんよね。

    アメリカではすでにオバマさんにブーイングが起きているとか。日本のマスメディアは全然伝えませんがねえ・・。

  • お酒・・・・・。
    日本の要人で、どれだけお酒で足元をすくわれた人達が
    多いのでしょうね。本当に送別会だったのでしょうか?
    何か罠が有ったのかもしれませんね。

    最近でも、故中川氏の酩酊会見が問題になりましたが、
    彼は日本からの大金援助を拒んでいたとか?
    また、日本を思う人達が今までにも大勢政界から下ろされたり最悪の場合は・・・といろいろあるみたいですね。

    国益の為に働く人達は、お酒や薬物にはくれぐれも
    飲み込まれないように注意して頂きたいですね。
    それは国民も同じですが。

    昔から同じ事が繰り返されているように見えてならない。

  • 「宣戦布告文」が相手に届いたかも確認せずに
    攻撃したのでしょうか・・・・?
    確認作業が行われていれば、「何それ?そんなものは
    届いていないぞ!」となり、攻撃の前に日本側の連絡
    網の不備が問題になっていたはずですよね。

    しかし、日本と言っても、日本には日本人と
    見分けの付かない反日の人々がたくさん居ると
    聞きます。
    その人達が海外の誰かの手先になっていたら??
    どこかのブログでも、自衛隊の中にも日本国籍では
    無い人達が紛れていたのが確認されているとか、
    書かれていてびっくりしました。

    日本はトロイの木馬状態になってはいないのかな?
    現に、日本に住みながら日本国籍に帰化しない人
    はとても多くて、そんな人達を日本に置いておくだけ
    でも危険だと思うのですが、(日本を祖国とも思わず
    出稼ぎの場、とか生活するための場としか見ていない)
    その人達にも参政権を与えようと外国人参政権なるもの
    を小沢氏や鳩山氏は国会への法案としてあげようと
    しているとか。それって?

    日本は、国籍だけではなくて、頭の中まで国益を
    どがえしして、「皆の為に、世界平和の為に」という
    甘い言葉で国益を世界にばら撒くような操り人形に
    なってしまっているのでしょうか?

    まずは、国民でしょ?
    税金もしっかりと納めて、国民に貢献してから
    余った自分のお金で世界貢献でも何でもしてくれれば
    良いですよね。

    彼らが大豪邸を売って、そのお金で世界へ寄付すれば
    皆拍手しますよね。それをしないで、国民の血税を
    ばら撒く、それがおかしい。

    やはり、一部の人達が多くの人を洗脳して行っている
    事がおかしいのですよね。順番が逆なのです。

  • なおきんさん、こんにちは。ご無沙汰しております。
    (…って、こちらでは「はじめまして」ですね)
    今回、この記事を書いてくださってありがとうございます。
    こちらを拝読し始めた時、たまたまつけていたラジオからレッド・ツェッペリンの「天国の階段」が流れました。
    不思議な気持ちになりつつも最後まで興味深く拝読し終えた途端、長年胸につかえていた何かが外れたような気がします。
    そして、それと同時に涙が溢れてきました。。。
    誰かを憎むことや過去を悔むことは簡単です。
    でも、今やるべきことは、目の前の事実をありのまま受け入れて許すことではないだろうかと思いました。
    その為には、まず自分と向き合って愛でいっぱいにしないと『受け入れて許す』感情は生まれてこないな〜って。。。
    みんなが愛に満たされ、心が平和になれば世界平和なんてあっという間に実現出来るんだろうな…と夢みています。

  • ハリウッド映画を利用して国民の不満が内政に及ばないようにしていると聞いた記憶があります。

    時に日本だったり、時に宇宙人や天災だったり…。

    あくまでも、世界一は米国でなければならないんですね。

    わざわざ現地に赴き、自分の直に感じたものをアップするから“なおきんさん”なんじゃないかな?
    と思うのは私だけでないはず。

    偉そうにゴメンナサイ。

  • 戦争を体験した人たちの強く優しい事には驚かされます。<しかし中にはトラウマを持って生活している人もあるし兵隊達は特に・・・>
    私だったら空襲を受けて目の前で身近な人が死んでいくのを見たら一生敵を許せないでしょう。私の住んでいる地域は外国人も多く実際空襲を受けた日本人の高齢の方々も沢山いらっしゃいますが、殆どの日本人と米人は仲良く出来ています。戦争は一部の人の強欲さが招いている恐ろしいものですが、歴史上で争いのなかった時代は殆どなかったように思えます。振り回される一般庶民は大変・・・
    トラトラトラが発信された塔を見たことがあります。それを見た時祈るような気持ちになりました。

  • なおきんさん、こんばんは。
    戦場の最前線で戦っている米兵は、白人ではないような気がしますが・・いかがでしょう。。自分の家族や、知人を、最前線には、送り出せないですよね。。

  • さっちゃん、一番ゲットおめでとさまです。
    やっぱそう思っちゃいますよね? > 「仕組まれた」 さて、めでたいほどのお人よしの日本人も、さりとて立ち上がって戦わなくちゃならなかったのが大東亜戦争。多くの将兵が信じていたのは、日本の手によってアジアを植民地支配から解放するというものでした。 結果的にそれはかなったわけで、犠牲の甲斐は一応はあったというわけですね。情報戦の弱さについては深刻ですが。
    ——————————-
    たまやんさん、あけましておめでとさま!
    少なくてもハワイは東京よりずっと安全に感じられました。アメリカにも地方差があるってことですね。ぼくもLAとNYではヤバい感じがした記憶があります。やっぱり一般に銃を携行している人が多いのは気持ち悪いですよね。
    ——————————-
    RYUさん、力作コメントをありがとうございます。日本政府紙幣については議論の余地ありですよね。国の借金は国際機関や外国からの債務ではなく、国民だったりするわけですから。現在の戦争はサイバー戦に備えた国家的情報網や、日本のプレゼンスをアピールする国際ロビー活動などが必要ですよね。
    ——————————-
    meiさん、故中川元大臣については、以前の記事に載せたように、ぼくはあの記者会見では睡眠薬を盛られたのだと考えています。飲んだつもりが飲まれてしまった、そんな事件は古今東西暇ないですね。いずれにしても情報リテラシーを意識したメディアの接触がとても肝要に思います。
    ——————————-
    あさこさん、力作コメントをありがとうございます! 「確認せずに攻撃した」のは「和平が成立した」という電文が作戦中になかったからです。「連絡がない」ということはGOの認識ですね。相手に戦争準備時間を与えないようにするのは奇襲の常套手段ですから。おっしゃるとおり「トロイの木馬」説はありがちですね。「世界の平和」と耳にするときいつも「どこの国のことだ?」と疑問を覚えます。区にそれぞれに利害が違うわけですからね。
    ——————————-
    あきこさん、ごぶさたしてました!「天国の階段」をBGMに記事を読んでいただけてるとは想定してませんでした(当たり前ですけど)。ともあれ、胸のつっかえがとれたと聞き、光栄です。 国際政治がどうあれ、個人レベルの暮らしの中では「受け入れて許す」ことは必要ですね。また、情報リテラシーを高めて、おかしな報道や政策には違和感を覚えることも肝要かな、とも思います。
    ——————————-
    faithiaさん、ハリウッド映画ってハッピーエンドだから安心して見れますが、しかし一方で正義の錦を背負えばどんなに人を殺してもヒーローになるという予定調和にはやっぱり違和感を覚えます。この記事を完成させるには現地の空気を吸い、戦績を見てからにしようと思ったのも、予定調和にとらわれたくないぼくのわがままです。でもそこを評価してもらえるとなんだかうれしいですね。
    ——————————-
    まるさん、これまでの歴史を振り返れば戦争のなかった時代はない。そう俯瞰すれば人類とはなんと愚かなんだろうと思います。でも一人の兵士、戦時中の家族の単位をクローズアップすればこれほど人間味のあるドラマもなかったりします。人は極限状態になると、本来の人間が現れるのだとすれば、戦争中、人の心を失わなかった人たちのドラマはまた美しいものですね。
    ——————————-
    ニモさん、最前線の米兵はかつては貧しい国人が多かったのは事実です。でも白人ももちろんいましたよ。そして最前線で日本兵に肉薄した米兵ほど、日本や日本人に同情的だったとも聞きます。同じ痛みを感じたんでしょうね。ゆえに上層部や爆撃手にはそういった同情は生まれにくい。原爆を落とした兵士然りね。しくしく。

  • なおきんさん、長い構想での問題提起ありがとうございました。

    アメリカはこの戦争のほんの50年ほど前にハワイ王国を滅亡させ自国の州としていて、
    先住民はこの戦争に対してはさぞ冷ややかだったと思います。
    すでに移民していた日本人2世も米軍として従軍したとも聞きました。
    日本に好意的だったハワイ王族や政府勧奨で移民した日本人にとっても避けたい戦争だったと思います。

    数年前にこのパール・ハーバーを訪れた父母が現地での米軍の心細やかな応対に感心していました。
    こんな風にいとも簡単に騙される日本人です(^^ゞ

    -国を守るためでなく国益を追求するために戦いを仕掛ける-
    テロのニュースが入る今、またそれを大義名分にしないかと疑心暗鬼になります。

    – 遅いコメントごめんなさいです^^;(内容も薄いし)

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。

    日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

    ABOUTこの記事をかいた人

    なおきん

    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。