アウンサン・スーチーの軟禁が解かれた。
彼女には1988年以来、いろいろと思い入れがある。 88年から90年にかけて世界は実にエキサイティングだった。 東欧革命、ベルリンの壁の崩壊、天安門事件、マンデラ釈放、ぼくはいてもたってもいられず1990年、ふたたび日本を飛び出した。 ビルマで軍事クーデターが起こったのはその直後だった。
それだけに軟禁釈放のニュースはとても感慨深い。
けれど釈放のニュースには、いささか複雑な気持ちにさせる。
世の中的には「悪 = ミャンマー軍事政権」「善 = スーチー民主活動家」の見方が強く、このたびのニュースを軍事政権が折れて民主化に向かっているふうに捉え、おおむね歓迎ムードだ。 けれども多くの前例で懲りているように、国際政治の世界はなかなか単純ではない。
日本ではあまり知られていないが、スーチーの旦那(故人)は英国諜報局(MI-6)のスパイであった。 スーチーが当局から睨まれるのも、単純に彼女が民主活動家だから、というだけではないのだ。 また2009年、釈放されるはずだった彼女の軟禁をミャンマーが延長した理由は、ジョン・イェットーという米国人モルモン教徒を自宅にかくまったという罪である。 この男、奇人とされているが、米国諜報機関の差し金だったという噂もある。 つまり、ミャンマー政権を制裁するために、英米はこの奇人をスー・チーにかくまわさせるよう仕向けたというわけだ。
もしこれが噂どおりなら、話は相当ややこしい。
米国と自由諸国はこのままミャンマー政権を経済制裁しておきたかったが、なかなかそうもいかない。 理由はミャンマーが資源大国であることにある。 アフガンやイラクあたりと大差はない。 「テロとの闘い」と称して両国それぞれと戦争を起こしたのは米国の茶番だが、理由は両国が資源大国であったからだ。 9.11をでっちあげ、大量破壊兵器保有をでっちあげ、開戦の口実を作った米国。 追従した日本。 いまとなっては笑うしかないが、国際政治に「勧善懲悪」を持ち出れた瞬間、反射的に疑惑を持つのはこうした学習効果の賜物かもしれない。
地下資源が豊富で天然ガスは世界第10位の産出国であるミャンマー。 そこを狙う中国、ロシア、それからインド、なんと韓国も、だ。 冷戦が終わり米国一極体制といわれていた時代はすでに過去のこと。 日本政府はまだ懲りずに米国に擦り寄っているが、いいかげん頼る相手を間違いすぎている。 ミャンマーとしては「米国や日本が制裁を続けるなら、中国やインドと取引するまでさ」というわけだ。 ミャンマー軍事政権はちっとも孤立などしていない。
オバマ政権は焦った。
このままだと米国は資源獲得に中国・ロシアに出し抜かれてしまう。
かといって国内の対ミャンマー強硬派を説得するには、それなりの理由が必要だ。 そこでスーチー釈放と国内選挙を行うようミャンマー政府に持ちかけ、このたび実現したのではないか? とぼくはそんなふうに見る。 オバマ政権がスタートしたのが2009年1月20日、ミャンマー政権がスーチー釈放を公表したのが翌年の1月21日。 反米政権とも話し合いをすると公言するオバマは、ミャンマーに対しても例外としなかったのだ。
だとすればスーチー釈放の理由は、またしても米国のご都合主義ということになりはしないか? 約束通り、スーチーを釈放し選挙を行ったミャンマー政権に対し、米国側は「この選挙は不当だ」といいだす始末だ。 理由としては、スーチーと彼女の政党であるNLD(国民民主連盟)が選挙に不参加だったから。
ビルマのジャンヌ・ダルクともいわれるスーチー。
彼女やNLDが選挙に参加するのが国民の望みであった。 本来なら参戦すべきであった。 でも彼女がそうしなかったのは米国との密約ということも考えられる。 選挙が不当なものであることを証明するシンボルとなったのだ。 あるいは、ふたたび籠の中の鳥にならぬよう、ぎりぎりの決断だったのかもしれない。 どちらにせよ、釈放と選挙はセットだったのだ。
民意が政治に反映されないことはこの国の最大の不幸だが、それでは同国が資源国であることはミャンマーにとって幸福なのか? 不幸なのか? 考えるほどにややこしい。
ひるがえってみれば同国独立のきっかけを作り、戦後も長く経済援助を続けてきた日本。 だのに、ただ米国のあとを付いて回るだけの政策が祟って、国際政治においてはあいかわらず登場人物にすらなれない菅政権。 外交の場で、紙を読み上げるだけの不甲斐なさに思わず目を覆いたくなるほどだ。
ジャンヌ・ダルクが必要なのは
むしろ日本かもしれない。
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