よく「あの人は頭がいい」などという。
どうして? と聞けば
いろんなコトをよく知ってるから、と。
いわゆる「物知りさん」である。
小学生時代は「博士くん」などと呼ばれたかもしれない。
いい学校にも入れ、卒業できた。
知識は、ないよりはあったほうがいい。
だけどネットで簡易に調べられる時代になって、
知識だけの人は存在が薄い。
情報の賞味期限も前より短くなった。
一般論をいうだけなら、何もあなたでなくていい。
ことあるごとに、それっぽく正論を言う。
間違えてはないし、役に立つこともある。
でもいつもそればかりだと
じゃあ、あなたはどう考えてるの?
と問うてみたくなる。
こういうひとは知識はあっても見識がない。
見識のある人
それは「自分なりの考え方」を持つ人のこと。
得た知識に、自分の考えを加える。解釈できる。
その人なりの考えがあるから、いくぶん存在感はある。
やっぱり知識だけの人とは違って、ご意見番にもなれる。
でも、評論や批評だけのひとになりやすい。
言いっぱなし、ということも多い。
意外と会社に多いタイプかもしれない。
ありがたいやら、迷惑やら、な人だ。
知識もあり、見識もある。
ないよりいいじゃないか。
あなたはそう思うかもしれない。
ぼくもそう思う。ないよりはマシだと。
そのいっぽうで
ある人をぱっと見て「このひと薄いなあ」
と思うことがぼくにはある。
頭髪じゃない。人間性のことだ。
なんというか、修羅場をくぐらず生きてきた感じ。
大きな失敗もせず、攻略本でなんとかなったような人。
言うことは正しいようで、正しくない。
肩書きも立派だけど、なんとなくハリボテな感じ。
サイコロをふれば、1もでれば6もでる。
人生、失敗をせずにすむことはありえない。
唯一、失敗しないとすれば、なにもしないことだ。
サイコロを振らないでいることだ。
チャンスなんていらない、リスクがコワイから。
決断できない人とは、そういう人のことだと思う。
ぼくの考える「草食男子」の定義に近い。
失敗を恐れて行動をしない男子である。
失点の少ない人は、勝負した数もまた少ない。
失点の多い人は、場数を踏み、度胸がすわっている。
修羅場をくぐってきたからだ。人生の猛者である。
ホームランバッターは三振も多いのだ。
「薄いひと」にはそれがない。
知識はあっても、実行力がないから胆識がない。
でも修羅場ばかりの人にも、問題がある。
実行はするのだけれど、伴う見識が足りない。
それはつまり過去のぼくのことだが、
見識ないままにサイコロを振るのは、ただの無謀だ。
そこで、胆識が問われる。
胆識のある人にとって見識は「判断材料」である。
どんな情報が自分には必要で、不必要かフィルタリングできる。
その上で決断し、実行する。
機があれば、判断材料が十分でなくても決断する。
情報量よりタイミングが大事ということも知っている。
勇気も必要だ。愛だって必要かもしれない。
しなくていい苦労をする必要はないとは思う。
だけど、どんな苦労にもちゃんと意味があった。
避けてばかりいて、なんのための人生かと思う。
あの人には胆識がある。
そう言われるような人に、ぼくはなりたい。
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