バナナ劇場 (その4)『届かない!』の巻

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へ・ん・し・ん !

 
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ところが・・・

 
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そろそろ退役させたい外付けハードディスクから「消えてしまうとあとできっと悲しい思いをするにちがいない」と思われるデータを物色し、どこかのサーバーに避難させることにした。ハードディスクも5年を過ぎればずいぶん思い出がたまるものだ。「10年ひと昔」なんて時代はとうに過ぎ、いまや「1年ひと昔」である。最近はもっと短いかもしれない。

友人であるちょいワルおやじなサカグチさんは、20代の愛人とたった1ヶ月で別れたと言っていた。早い。「2回しか逢ってないのに」とサカグチさんは嘆く。否、20代の相手からすればメールやフェイスブックのやり取りですでにお腹いっぱいになったのだ。早いのだ。なにもかも。温まるのも、冷めるのも。サカグチさんの場合、夢から「覚めるのも」というべきかも。傷は浅いぞサカグチさん。なにごとも早期発見、早期治療である。
・・・何の話だっけ?そうだ、ハードディスクだ。

そもそも5年前のデータのうち「消えると悲しい」データとはいったいなんなのか?ぼくの旅はまずそこから始まる。あなたも考えてみて欲しい。それはいったいなんなのか?昔の恋人のラブレターをなかなか捨てられない人がいる。そんな人にとって「消えると悲しい」データは多いだろう。思い出は美しすぎるタイプだ。「あのころ少しはモテたのよ」そんな賞味期限切れの勝負写真も含まれているかもしれない。世のサーバーにはきっとそんなデータであふれているのだ。

引越しのとき、長年探していた「アレ」が見つかったり、なつかしい「ソレ」が見つかったりして、なかなか作業が前に進まないことはないだろうか。ぼくなんかそれが病みつきになって、毎年引越しをしていた時期があったほどだ。

いっぽうでいざ無くなってみると、ああ、なくなっちゃったなくらいであまり執着しないのもぼくの性格である。むしろふっきれてせいせいすることだってある。「消えると悲しい過去」もあまりないのかもしんない。思い出もデータも、また1から作りなおせばいいのだ。だいじょうぶ、きっと前よりうまくできるから。

6 件のコメント

  • 消えると悲しいデータは、昔からファンのアーティストDVDやCDです。

    その他のデータは繰返し観たりすることはまずありません。データに残しただけで満足しちゃうから。

    人間って、想い出や必要なデータをいろんな手段で残そうとしたり、そのデータをいかに縮小化を目指すけれど、最終的には小さなチップ化を目指してるのかも。携帯電話も。
    そしてついにはそれを身体に埋め込もうと考えるようになるのかも。

    そこまできて、データや携帯電話などの、人間の外側に求めていた機能は実は人間が本来持っている機能だと気付き、その能力をアップさせる方向に転じていくんじゃないか。
    そんな気がしています。

    想い出や大切なデータは、DNAに刻み込みたいという無意識が働いて、一生懸命データに残そうとするのかな、人間は。
    なんて考えたりします。

  • はーーい^^タイムリーな話題です♪

    先週1200枚の写真データが旅立ちました(泣)

    自分の思い出は自分の中にあるものだけでいいやって
    立ち直りも早いのだけれど
    子どもたちのかわいい写真や試合のムービーは
    あきらめきれずにちょっと泣いた・・・

    だってね、子ども達が巣立った時に
    一人で楽しむ材料が減ってしまった気分ですもん

    久々のバナナメンの登場!嬉しかったです^^

  • こんにちは(^^)
    私も傘はいつも折りたたみで、スーパーの買い物袋に
    入れて鞄に入れています(^^)
    長い傘はほとんど持たないですね。
    デジカメが一般化しだした頃から撮影しだした写真。
    ほとんどが猫の写真だけど、、、
    今はもう亡くなってしまった子とか今は、じっちゃんに
    なってしまっている猫の子猫の写真とか。
    やっぱり懐かしい。
    物とかは平気で捨てられるのに、写真データだけは
    捨てられないかも。。
    きっと物は同じようなものがまた買えるだろうけど
    その写真は他に存在しないからかな?

  • データ。消えてもいいものなのかなって最近は思うようになりました。
    ただ、浮かんできた言葉と音は消したくないですね。
    残しておきたいものが変わったみたいです(^^ゞ

  • あれも大事。これも大事。もしかしたらこれも…。と取り込んでしまいます。
    無くしてしまうと、とんでもないって気がしますが、いざ無くなったとなると、けっこう応用がきくというか、なるようになるものなんですよね。
    「な~んだ、こんなものか」って感じだったり…。
    時々『スッキリさせたい気分』が訪れるので、その時、整理するようにしてます。
    なかなか上手に出来なかったりするのですが…。

  • はてなさん、一番ゲットおめでとさまです!
    東日本大震災のあと、自衛隊員が命令でもないのに被災地で見つけた写真をていねいにより分けて、一箇所に集めている姿に感動したものです。「思い出」を残したいと思うのは人間の本能なのですね。たぶんそれは、人間が忘れる動物だからなんだろうと思います。そうやって、忘れることはまた、生きていくために必要なことでもありますね。
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    ねねさん、
    「先週・・」とはまたずいぶんタイムリーなお題でしたね。「親が撮ってくれた子供の頃の写真」って、なんとも貴重ですよね。つくづく親がそうしてくれたことを感謝することがありますから。と思えばなおのこと、旅立ってしまったデータが痛恨。ご愁傷さまでした。次回からはクラウドに保存するといいかもしれませんね。
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    Yossyさん、
    何気ない写真をふと見返したとき、意外と思い出すことがあることを知っておどろくことがありますよね。ぼくたちはそのことを知ってるから「写真を残す」のだと思います。せつないほどあっさり過ぎる時間へのささやかな抵抗なのかな?と、ふと思ったりしました。
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    市井みさとさん、
    データで残すものと紙で残すもの。それぞれありますね。デジタルは手軽なのでついついたまりがち。いっぽう紙のほうは、あとで探せなくなったり、自分の書いたメモの意味を忘れてしまったりと一長一短。ところで残しておきたい「浮かんできた言葉」ってどんなものが?
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    faithiaさん、
    そうそう、「モノを捨てられないひと」はまた「旅の荷物が多いひと」であり「やたらと保存データが多い」ひとでもあると、ぼくは想像するのですが、faishiaさんはいかがですか? 7年前にGmailを使うようになってから、致命的なデータが無くなるケースがなくなりました。旅も引越しも、軽いのが一番ですね。

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    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。