ちょっと不思議な話をする。
もう40年近く昔のはなしだ。これまで誰にも話したことがない。かといって意識して封印していたわけでもない。しばらく周囲に話せない事情があり、いつのまにか忘れていたというだけのこと。なぜか不意に思い出し、消えない。だからここに打ち明けることにした。
転校したばかりの小学校。
耳にしていたようないじめも受けず、次々に友だちは増えていった。ヨシムラという男子もそのなかのひとり。小柄で色白、目がぱっちりしていて女の子のようである。成績もいいし運動もできる。女子にもモテていた。なるほどモテるというのはこういうことなんだなと思った。ヨシムラとぼくの家は3軒しか離れていなかった。ぼくの家は母親が飲食店を経営しており、ヨシムラの家は酒屋。親たちもまた取引先同士であったのだ。
ヨシムラとは学校も、学習塾も同じクラス。それもスパルタ教育で有名でS学習塾。塾長は算数の担当をも兼任するもっとも厳しい先生で、怒号を生徒に浴びせ、生徒の頬をビンタで叩き、竹の棒で尻をぶった。女子にも容赦しなかった。他の先生も似たようなものでわりとひんぱんに、叩いたり、小突いたり、つねったりしていた。いまならとても無理だろうが、昭和50年代はこんなことで塾を訴える父兄はいなかった。むしろ好んで通わせていた。
塾の行き帰りはヨシムラといっしょだった。彼の話は面白く、ぼくの知らない世界のことを教えてくれた。いつも周りに人が集まってしまうヨシムラ。そんな彼を独占できるのはこの塾の帰り道だけである。夜の10時過ぎ、暗闇の中を小学生がふたりだけで帰る。小学生の足で30分の距離だ。途中大きな公園があり、斜めに横切ると近道できた。水銀灯はあるが明かりは十分とはいえない。月が出てなければ、足元に転がる棒切れにすらドキッとさせられる。ここの公園はなんとなく苦手だった。ルンペン(浮浪者)が居着いているという噂もあった。少しぐらい遠回りになっても道のほうを歩こうよと、ぼくは提案するが「弱虫め」とヨシムラはにべもない。
ある日塾からの帰り道、ヨシムラは「砂の嵐って知ってるか?」とぼくに聞く。知らない、と答えると「テレビの番組がぜんぶ終わると何も映らなくなるだろ? ザザーッて それが砂の嵐」 へえ、とぼく。ヨシムラは少し声を潜めていう。「でな、砂の嵐を15分間そのままにしておくと、ある番組が始まるんだ。これがまたスッゴイおもしろいわけ」 ぼくは半信半疑で聞いている。ちょうどぼくたちは暗い公園を横切っていた。長い影が前のほうからやってきてだんだん短くなり、こんどは後ろの方へとぐーんとのびていく。
ヨシムラによるとその番組は、ヘンなおじさんのワンマンショーということだった。ダミ声で、ときに女の人の声を出すという。一人二役でコントをやり、セリフで、またはパントマイムで笑わせる。動物の、特にしまうまのモノマネがうまいという。しまうま? ぼくはしだいに興味がわいてくる。その番組をぜひ見てみたいと思った。「いいか、15分間ぜったいそのままだぞ」とヨシムラは念を押す。「とちゅうチャンネルを変えたりテレビを消したら見られないからな」 ぼくは大きくうなづいてみせた。
土曜日の夜、ぼくは言われたとおり12チャンネルに合わせ、放送が終わるのをじっと待つ。母親にはそんなものやってるわけないじゃないと呆れられ、妹はつき合いきれないわと先に寝てしまう。塾の宿題をしながら番組が全て終了しプーンンンという試験電波が流れる画面に変わるのを横目で確認する。それからしばらくしてとつぜんザザーッと砂の嵐が始まる。鉛筆を止め、ページを捲るのをやめて、ぼくは画面を凝視する。あと10分、5分、1分・・・あれ?
画面は砂の嵐のままだった。
翌日ぼくはヨシムラに抗議する。何も映んなかったじゃんかよ!というぼくに「オレはみたぜ、面白かったなあ」という。「途中トイレとか行かなかったか?目を離さなかったか?」真剣な顔をしてヨシムラはいう。目はそらしたかもしれない。15分も砂の嵐なんか見つめてたら頭がおかしくなりそうになる。弱虫め。とヨシムラはいう。番組だって気合入れたやつにしか見せないんだよ。
翌週末、結果は同じだった。
そのことを伝えると「先週はオレにもみえなかったよ、番組終わっちゃったのかもしれないなあ」と残念そうにいう。えー!まだ一回も見てないのに? どこか疑い始めていたぼくも、なんだかすごく損をした気になり、ある種の罪悪感すら覚えもした。次の土曜日、ぜったい見るからね、と誓いをたてた。
土曜日の(正確には日曜の)午前1時ごろ、ぼくはコーヒーとラジオカセットレコーダーを用意してテレビの前に座り、待っていた。テレビはすべての放送プログラムが終わりましたといつもの画面をだし、やがて試験電波画面に変わった。プウウウーンという音が終わると、いつもどおりザアーッと砂の嵐が始まった。
さあここからが肝心だ。トイレは済ませてある。子供らしくなくコーヒーをちびりと飲み、ラジオカセットレコーダーにテープが入っていることを確かめた。画面を食い入るように見る。妹が起きてきて「お兄ちゃんまだ寝ないの?」と云いながらトイレにいく。そんな妹が再び布団に戻ったあと、画面にちょっと変化があった。ほんの少しだけ画面を素早く点滅する粒子が大きくなったようだ。横に太いの細いのいくつも線が斜めにあらわれ、下から上へと流れていく。線は一様に太くなり、間隔が開いてくる。気がつけば雑音が減り、その隙間をぬうように変な音、テケテンテケテンという小さな太鼓をたたくような音が混じるようになる。番組が始まったのだ。やった!とガッツポーズをしながらぼくは小躍りする。
画面は白黒のままだし、雑音も消えてはいないが、明らかにテレビの向こうで放送が行われている気配があった。それはなかなかの興奮をぼくにもたらせた。ちょうど自作したゲルマニウムラジオで放送が聞こえてきたときのような感動があった。一瞬、画面がぱっと明るくなる。光の中から人の顔のようなものが左上あたりに、ほんの少しだけ映る。目の陰と鼻筋、開いた口。雑音に混じり人の声が、セリフが聞こえた。
・・べんきょうばかりしてたらあかんで・・
画面はふたたび砂の嵐に戻った。それからしばらく画面を見つめ、次の変化を待つ。途中、忘れていたラジオカセットレコーダーの録音ボタンを押した。画面はときおり揺れ、なにか言いたそうにもみえるのだけど、相変わらずザアーッという砂嵐ばかりで、音楽もセリフも聞こえない。
目が覚めると部屋は明るくなっていた。
いつの間にか眠ってしまったらしい。ぼくは布団の中にいた。きっと夜中に母親が運んでくれたのだろう。テレビの画面は消えていた。ラジオカセットレコーダーの電源も切れていた。完全に見れなかったのは残念だったが、ちょっとした達成感があった。夢ではない。たしかにあの番組の、一部だけだったけど、見ることが出来た。もしかしたら地元の放送区域でない番組が夜間にだけ混じってしまうのかもしれない。だから関西弁だったのかも?
翌日、ヨシムラの家に遊びに行った。
昨日あったことを伝えると意外そうな顔をされた。・・ほんとに、みたのか? 彼は店のコーラを一本、ぼくによこしながら聞く。うん、ちょっとだけだったけど。勉強ばかりしてたらアカンで、とかいってた。「どんなおじさんだった?」とヨシムラはしつこい。はっきりうつらなかったからわかんない、というと「ほんとはうそだろ?みてないんだろ?」と咬みついてくる。見た、と思う。パッと画面が明るくなったし・・・ だが不思議なことはこのあと起こった。
翌週の月曜日、学校から帰ると母親が「もうあの公園を通って帰ったらダメよ」という。どうして? と聞くぼくに思いもかけないことを言う。
あの公園のトイレでね、浮浪者の死体が見つかったのよ
ぼくとヨシムラはその夜もいつものように塾へ通う。死体が見つかったという公園には柵が建てられ、ビニールのテープが柵に沿って張られていた。まだ捜査中なのか人がうようよいた。ぼくたちは口も聞かず足早にそこを通り過ぎ、塾へと向かう。帰りはヨシムラの親父の車が迎えに来てくれた。以来、帰りは必ずどちらかの家から車で迎えに来るようになった。後に殺人ということを知った。犯人の行方を追っているとも。
あの公園ではあれからいろんな怪談話が出ては消え、付近の子供たちを怖がらせた。ぼくはひとり、砂の嵐を怖がった。「あの画面の男はひょっとして・・!」 ヨシムラは砂の嵐についてまったく話さなくなった。もともとつくり話だったのだろう。だのにぼくが「見た」と言い、ちょうどその日に殺人事件が公園で起こった。なにか虫の知らせのようなものを感じたのかもしれない。ぼくはぼくで誰かに話せばなにか恐ろしいことが起こるという確信から逃れられない。ヨシムラとも、だれとも。話さず、意識せず、早く忘れてしまおうと考えた。そのうち、思い出すこともなくなるだろうと。起こったことのすべては偶然で、ぼくが見たのは錯覚だったのだ。
録音したテープは、聞き返すことなく捨てた。
ぼくの寝息だけが吹き込まれているはずだけど。
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