台北での拾いもの

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街についたらまずは地図。地下鉄の路線図って世界共通。東京もパリもロンドンもキエフも香港も、そしてここ台北もおなじ。さあどこに行こう? 街のヘソは路線図のまんなか、しかも複数路線がクロスするところ。

 

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日本の地方都市のそれに似ています。

 

 

 

 

 

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チケットを買っているところ。おねだんはもちろん、庶民プライス。

 

 

 

 

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中正紀念堂は、中華民国の初代総統である蒋介石を顕彰し1980年に竣工した。中正紀念堂の「中正」とは蒋介石の本名である。

蒋介石1975年に死去した際、行政院日本の内閣に相当)は全国民の哀悼の意を表すことを目的とする紀念堂の建設を決定し、同年6月26日に14人の政治家、文人、実業家からなる中正紀念堂建設委員会を設置した[1]。同年7月、委員会は大局的な建設方針を決定し[2]、また民間の専門家の意見を取り入れ、8月22日にはコンペティション要綱を公開した[3]。その1年後、43組の応募の中から楊卓成の設計案が採用された[4]

 

 

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中正紀念堂籌備小組籌備委員(後に中正紀念堂籌建指導委員会と改称)が建設準備を推進し、蒋介石生誕90年に当たる1976年10月31日に起工式が催され、1980年3月31日に完成した[1]蒋介石逝去5周忌の4月4日に併せて落成式が盛大に行われ、海外の3000名余りの華僑・華人が参加し[5]、翌4月5日に一般公開された[1]

 

 

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午前6時30分に儀仗隊が中正紀念堂に進駐し、午前9時より警護及び毎時交代儀式が行われている。儀仗隊交代式は台湾観光の名物となっている。なお、儀仗隊の交代儀式は、1日に10時、11時、12時、13時、14時、15時、16時、17時の8回挙行されている。

民進党政権下での「台湾正名運動」の影響で、2007年には「台湾民主紀念館」に改名され、入り口の門に書かれた「大中至正」の文字が「自由広場」に架け替えられ、儀仗隊交代式が中止していた時期がある。国民党が政権復帰した2009年に、再び元の「中正紀念堂」に戻る(ただし、「自由広場」はそのままである)[6]。【Wikipediaより】

 

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少し前に、中国との「サービス貿易協定」への反対をきっかけに、学生たちが立法院に立て篭もりデモを行ったこともあり、総督府の前は厳戒態勢。バリケードを張り巡らし、兵士が監視していた。とっても平和的なデモだったけど、一部過激派が紛れ込んだりしていたからね。

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なおきん

なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。