Kindle ホワイトペーパーの使い勝手がよいので、電子版で読む機会が増えたけど、不便でもやっぱり本は紙がいいなあ、と思う。
『鈴木成一デザイン室』というハードカバーを本屋で見つけ、数ページパラパラとめくって即購入。30年間で1万冊もの装丁をデザインしたというブックデザイナー鈴木成一自身の本だから、よくないわけがない。手にとった瞬間、手のひらに指にすうっと馴染む感じ。”手の「実感」が物の魅力を生む”というまえがきどおり、書物というのは書かれた中身と装丁合わせてひとつの作品なのだと実感する。
この中には150冊の本が紹介されているが、書評ではなく著者が手がけた装丁にかけた思いを綴っている。電子書籍では決して味わえない「本という物」をめぐって腐心してきた仕事ぶりがじっくり味わえる一冊だ。
- 読む時間 / アンドレ・ケルテス
ハンガリー出身の写真家、アンドレ・ケルテスの独創的な写真集。読む写真、というか本を読んでいる人を撮った写真集である。写真そのものもいいのだけど、この本の特徴は装丁。
とくに本来ならクロスで装幀するところを、エンボス用紙に布クロスの写真を印刷して価格を抑えるくふうがなされている。出版文化産業振興財団賞を受賞。さまざまな本を読む姿が写された写真集を読むぼくもまたまた、本を読む人の姿になっているのだ。
あの糸井重里が師匠と呼ぶ日本のコピーライターの一人者、土屋耕一のエッセイ集。というべきかどうか迷うほど、いろんな遊びが散りばめられた作品。いまどきめずらしい函入りの本である。しかもうれしい二冊入り。『回文の愉しみ』と『ことばの遊びと考え』である。これも装丁に惹かれて買った。しかも中身の文字はDTPではなく写植によるもの。ああ、だから何となく懐かしさを感じるのか・・と思わせる。CDでなくアナログレコードのような味わい。古いのに新しい。それはまた土屋耕一の文章そのものである。糸井重里が『ことばの遊びと考え』に、和田誠が『回文の愉しみ』にそれぞれ、コラムを書いていてこれもまたセンスがいい。「読む人をおもしろくする本」という糸井重里のコピーのとおりである。
今日のひろいもの
ぼくはだいたい同時に5冊くらい本を併読します。通勤ではこれ、ソファに座ってこれ、寝室でこれ、というふうに。ちなみにぼくは本にブックカバーをしません。本の印象を薄めるし、それになんだか息苦しそう。せっかくのデザインを隠すのはもったいない気がします。ただお風呂で読むときは濡れないようジャケット部分ははずします。風呂で読んでいるのが一番長いかも。
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