女性に比べ、あまり「見られている」ことを意識しないのが男。
中年ともなればその差は歴然で、「どうせ見られているわけがない」とあきらめ、というか、すっかり開き直っている。
「男は外見じゃない」 という、もう出典元すらあやふやな金科玉条(きんかぎょくじょう)をかかげ、ひいては「外見を気にするのは軟弱男」となってしまった。
開き直るだけでなく、「外見低優先主義は男らしい」と信じる男たちはちょうどぼくの世代から上に多い。
何を信じようが信じまいが、結局のところ男たちは意外と見られている。 外観をチェックされているという意味だ。
表情やしぐさ、つけているネクタイから時計、靴、指輪、髪型、そして「手」。
「手は口ほどにものを言う」とはミラクル60代、佐伯チズさんの言葉だ。
「男の手に色気が宿るのは、生きているための仕事をするパーツだからです。日常のあらゆる行為に絡んでいて、無意識に使っているもの。だから、その人その人の表情があるし、個性になるんだと思うのです。」
たしかに手ほど可変性のあるパーツもないのだ。 それは顔の表情にも似て、その人の内面がにじみ出るものなのかもしれない。
こんなことならピアノでも習っておけばよかったと思う。 あの優雅な指の動きがあれば、かなりセクシー度が上がるような気がする。
いまピアノを習うにはいささか時間や能力が足らない感じなので、せいぜいいつも手を清潔にしておこうと思う。 相応のハンドソープをつかい、クリームをちゃんとすり込む習慣をつけるのだ。 顔の美醜はしょうがないけれど、手ならなんとかなりそうだ。
人の身のこなしの集大成は末端こそにある。
引き続き佐伯チズさんは言う。
「手という末端に意識を注ぐと全身の動きががさつにならないもの」
見られても恥ずかしくない手を作ることを意識したいものです。
まさに「見られても大丈夫な手作り」ですね。
手フェチな女性は多いようですが、自分たちはどんなケアをされているんでしょうか。 やっぱりロクシタン?
それと素朴な疑問。
たまにピカピカの爪をした男性をみかけますが、あれはアリなんでしょうか?
手だけでなく、爪の手入れもね
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