切り身の前に立ちすくむひと

ある夜、帰宅前にスーパーに立ち寄ったときのこと。
さほど混んでいない店内。 生鮮品売り場の冷凍ケースの前に女のひとが立っているのが見えた。 気になったのはその挙動。 切り身魚のパックを手にしたまま、そのひとは微動だにしないのだ。

凍っちゃったのかな? と思う。

もちろん凍ってはいない。 幽霊でもない。 まばたきだけ、さかんにしているのが見えた。

女のひとは泣いていた。

冷凍ケース、魚の切り身、女の涙・・・
よくある組み合わせではない。 涙が似合う食材はタマネギくらいのもんである。 みじん切りである。 切り身の、ましてや魚じゃない。

30代半ばに見えるそのひとは白いブラウスに膝下までのベージュのスカートをつけ、太いヒールの靴をはいていた。 たぶん営業か接客の仕事に就いているのだと思う。

バナナと豆乳、それからハチミツの瓶をかごに入れてからぼくは、もういちど生鮮売り場を見やる。
女のひとはまだそこに立っていた。

おそらく、とぼくは想像してみる。 彼女は、それまで一緒に暮らしていた恋人なり、夫と、別れたばかりなのではないだろうか? と。

そう思った理由は、以前いただいたある読者からのメール。
「自分から別れたはずなのに、思いがけず寂しくなることがあるんです」とそのメールにはあった。
恋人と暮らしていた間は二人ぶんの食材を買っていたのに、そのひとと別れてからひとりぶんだけ買う生活に戻った。 彼のことはもうどうでもいいけど、ある日うっかりふたりぶん作ろうとしていた自分に気付くと、とたんに全身の力が抜けるほど寂しさに襲われて涙がぽろぽろ出てきた
というふうなことが書かれていた。

男でそのような体験を持つひとは少ない。 けれども、失われたひと自体よりも、失われた機会に猛烈な寂しさを覚えた記憶がぼくにはある。 同じでないかもしれないが。

ともかく、生鮮売り場の前に立つあの女のひとは、このメールをくれた方と同じ心境にあるのではないかと、思いに至ったのだ。

その女のひとの作る白身魚のムニエルを、彼はとても美味しそうに食べていたのだろう、とぼくは想像してみる。

「自分の存在をありがたいと思うひとがいなくなる」というのは、いなかった前よりもずっと寂しくのしかかってくるものだ。 なまじ「一緒に暮らしたひとがいた」ことが、切なくさせるのかもしれない。
頭上の月は、以前となにひとつ変わらないはずなのに。

そんなことを考えながら、買ってきたものをミキサーにかけ、できたてのそれをテラスへもっていき、しみじみと飲むのでした。

あのときと同じはずの月を見上げながら・・・

終わったことに気付くのは、いつもしばらくたってから
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11 件のコメント

  • こういうのは、やっぱり女だけの行動になるんでしょうね。たしかに、男性が立ちすくんだまま涙してる姿は見かけたことはありません。
    ブログに出てくるような人、時々見ますよ。電車の中でも。何か思いをふっきろうとして、我慢してても涙が滲んじゃうっていうか。その人がスーツケースなんて前に置いて座ってたりするから、理由は古典的にお別れかなって思いましたけど。
    みんな意外にこういう経験あるかもです。私もあるし。飛行機の座席につくやいなや、こらえきれなくなって嗚咽しながら泣いちゃったりとか。しかも目的地まで(笑)。隣のリーマンには申し訳なかった。大丈夫?なんて声かけないでいてくれて感謝しました、っていうかどこか他で泣いてくれって思ってたかも知れません(笑)。あとはやっぱスーパーの中。1人でいるとよくないから何かしないと、なんて思ってスーパーに行ったけど、ラベルを読んでも何にも頭に入らなくて(この間、私は立ち尽くしてるように見えたことでしょう)ただ涙だけがジワーっと出てるわけ。挙動不審にみえるよね(笑)。若い時には、こんなこともあるのよね、って感じです。

  • うっわぁ、イタイな(泣)

    これは、イタ過ぎる。
    ちょっと前までの自分を見ているようだ(恥)

  • 既婚者だからなおきんさんの想像のような状況には立ったことがないけど、どうしようもなく泣けて仕方ないという経験はあります。
    電車の中だったのだけど、それは死にゆく母のことを考えてたら涙があふれてきたのです。
    日常の行動をしてできるだけ平気に振舞おうとするけど、
    涙は止め処なくでてくる。その時は本を読んで泣いているふりをしようとしたけど、Dan Brownの本(それも洋書)を読んで泣くっていうのも無理がありました。
    あとは、とても大切な友人と大喧嘩をして電話でひどい言葉を言われてバスの中で思わず泣いてしまいました。
    人それぞれ涙には原因があるということで...
    魚の彼女は日常的に振舞おうとしたけど、魚売り場でつい感情的になったんでしょうね。

  • >けれども、失われたひと自体よりも、失われた
    >機会に猛烈な寂しさを覚えた記憶がぼくにはある

    うわー何だかすごくわかるう。
    あのお誘いを断っていなければ・・・・・って。(笑)

    しかし、人はどんだけ寂しがり屋さんなんでしょうね。
    一人でもたくましく居れるのが一番カッコイイと思う
    のですが、ちまたでは家族家族、皆で皆で、って
    団体こそが楽しいよーって煽りますからねえ。
    嘘ばっかりと思いますよ。
    だって、二人だったのに一人の時よりも寂しい
    と思ったことあるもの。(笑)
    それは大勢の中でも寂しいと思うことと同じ
    ですよね。

    彼女、今は感情的になってしまう季節なのかもね。
    でも、決断したのは立派な事。
    いつか、あの事が私を強くしてくれたのよ、と
    笑える日が来ますよね。それを伝えてあげられない
    のが少し辛いですが。でも、大丈夫、やまとなでしこ
    は強いのです!
    旬のお魚をガッツリ食べて、自分を元気付けて欲しい
    ですね。大丈夫、大丈夫。

    しっかし、なおきんさん、どんだけヘルシーな
    食生活なのですか。豆乳は良いですか?
    動物性脂肪よりも植物性脂肪の方が日本人の
    体の消化には適しているようですね。
    欧米人よりも乳製品は意外とあわないようです、
    私たちには。

  • 身を切られる思い…なんでしょうね。

    自分が…まさかそういう経験するとは全然思わなかったけど
    その時は、そういう言葉の意味をしみじみ味わいました。

    今では良い思い出…それが無かったら
    今の自分はいません…あーしかし年取ったなぁ(笑)。

  • 胸が痛くなりました。。
    そうなんですよね、、ふとした時に 胸の奥にしまいこんだものが出てきちゃうんですよね。
    ウチの母は、父がなくなったあとスーパーへ買い物に行ったとき・・ワカメを見て涙がこぼれたって言ってました。父がワカメの味噌汁 大好きだったんですよ^^

    終わったことに気付くのは いつもしばらくたってから

    しみじみ胸に染み入る言葉ですね。

  • naokinさん、はじめまして。
    福岡のベリエンです。
    胸が痛くなったのと、心に温かく感じる
    モノがありました。
    さみしくて、涙がポトポトってありますよね!?
    でも、また元気に生きていける。
    人間ってホントさみしがり屋なんですよね。
    でも、前に向かって歩ける力もちゃんとある
    から、人間はすごい!!
    そんな感情を経験しながら、ベリエンは
    少しずつ大人になっていくのかな
    と感じてます。
    それから、あゆ♪さんのコメント。
    ベリエンにはまだまだ受け入れる許容が
    ありません(泣)。
    大切な人がいなくなる、想像しただけで
    イヤだっ!!という感情しかないです。
    しみじみかぁ、まだまだ想像できない
    ですねぇ。

  • ぱりぱりさん、一番ゲットおめでとさまです!
    まあ男ですからね、できれば人前で泣かないで生きていきたいなあと思います。でもぱりぱりさんも機内でこらえきれずに嗚咽してしまったりとか、生きていればいろんなことがありますよね。でもそういう女性を見かけても声をかけてはいけないんだな、ってことを改めて学びました。ダメですよ男性諸君、声をかけちゃ。
    ——————————-
    kenさん、だいじょうぶ。これからイヤというほど人生甘辛劇場の舞台に立つことになりますから!
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    ちづきちちゃん、ひさしぶりー! >「ちょっと前の自分を見ているようだ」ってそれ、生々しいねえ。ごめんね、リマインドさせちゃって。それより、身体の具合はどう?
    ——————————-
    Junpeiさん、たしかに涙を隠すのにDan Brownはいささか謎解きすぎましたね。それにしても、感情を爆発させるには世の中は整然としすぎてます。それでいて、泣こうとわめこうと、まわりはいい具合に無視してくれます。ただ、他人であっても涙のわけを知ろうとする本能をして、人間ってやっぱり根はやさしく出来てるんだなあと思います。
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    りょうさん、「失われた機会」とは、例えば一緒にいくはずだった旅行や、観るはずだった映画。さみしいのは家族やみんながいないからじゃなく「彼」や「彼女」が以前のようにいないこと。そういうものですよね。それにしても時間こそはどんな感傷も治してくれますね。あるいはおいしい食事。人は悲しさにもやがて飽きちゃう、底抜けの強さがあるもんです。
    ——————————-
    たまやんさん、>「身を切られる思い」<よくぞ気付いてくれました。このタイトル、「魚の切り身」と韻を踏んでいたのです。それはともかく、いろんな出会いと別れがあって、それはどれが欠けていても今の自分にはならなかった。そう思える人にこそ「成長」というご褒美が待っているのだと思います。
    ——————————-
    あゆ♪さん、「ワカメを見ながら涙を流す母親」。 深い慈愛を感じますね。生活に根付いたところで誰かを愛し、慕っていた想いというのは片時もそばを離れないのでしょう。 ゆえに総括することができない。時間がかかってそれが出来たとき、ようやくひとは終わったことを理解するのだと思います。
    ——————————-
    ベリエンさん、初コメント、ありがとさまです!
    人間ってホントさみしがり屋ですね。 人はそれぞれに欠陥があって、たがいに引き寄せられるのは意外にもこの欠陥ゆえなんじゃないかと思います。だから相手を失ってみれば、忘れていた自分の欠陥がこんどは欠損となって再び目前にあらわれる。 このさびしさこそは本物で、自分でもびっくりするくらい。 けれども、向き合う相手が「さびしさ」しかなくても、耐えることができるのがまた人間だったりします。よね?

  • 読んだら、泣けてしまいました。

    楽しい思い出が多ければ多いほど、その人でなくては得られない幸せだった、だから、もう二度と手に入らない。
    この寂しさとずっと付き合って生きていかなくちゃいけないんだ。。。
    と思えてしまい、泣けてしまうんですよね。
    けれど、自分が求めている幸せの本質は、唯一の相手ではなくて、相手との間に生まれる幸せオーラのようなものだと気付いたときに、また再び歩いていけるんですよね。
    そして、本当に自分の心が解放される相手と巡りあえて、以前よりもっともっと幸せになれる。

    その女性が、誰かと別れたのなら、そんな日が早くやってくるとよいですね。

  • はてなさん、なかなか泣けてきますよね。あとぼくは思うんですが、失われたのは「相手」だけでなく、彼なら彼と共に過ごした「あの時間」もあるでしょうね。けっして戻らないのは「時間」なんです。たとえ新しい相手が見つかっても、やっぱり「あの時の自分」は、そこにしか存在し得なかった。時の流れはときに優しく、時に残酷なものですね。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。