初めてバックパッカー旅行をしたのが1984年。
訪れた都市の名前は忘れても、泊まった部屋の様子は覚えている。
なぜならひと部屋残さず、すべてスケッチしたからだ。
来週はいよいよドイツへ引っ越しという1984年の3月のとびきり寒い日の午後、ぼくは名古屋市内の本屋で一冊の本を買ってきた。
それが、妹尾河童の『河童が覗いたヨーロッパ』
買ってきたその日の夜から読みはじめ、夜明けに読み終えた。
ご飯も食べず、眠くもならず。 そのくらい面白かった。
ぼくも早く旅をして、こんな旅日記を書きたいと思った。
著者は泊まったホテルの部屋を真上から見たという想定でスケッチし、出会った人々を、食べたものを、電車のトイレを、切符の改札機を、それぞれ細かな描写で書き表していた。びっしりとかかれた文字もすべて本人の自筆だ。まるで気の遠くなるような作業、そこに流れるそれなりに長い旅の時間が一冊に凝縮されていた。
ぼくはこの本から、旅のありようを学んだ。
それは「旅は自分で作るもの」ということだった。
ガイドブックに書かれていることをなぞるのでもなく、絵はがきと同じ風景を写真に撮るのでもなく、誰かが語った言葉を口にするのではなく、自分自身で見て、感じて、経験したことを書き留める。
「描く」ということは「観る」ことである。「想う」ことである。
著者の本に影響されたぼくは、さっそく旅先に小型のスケッチブックと鉛筆とドローイングペンを何本か持ち込み、目に留まったものを片っ端からスケッチをした。
絵を描くことは好きだったが、いかんせん下手だった。
あとでなにを描こうとしたのかわからないような絵もあった。
それでも描いた。
旅先で描く絵は、それだけで価値がある。
それは記憶のようでもあり、思考のようでもあった。
少なくとも記憶の役割を果たし、思考する時間をくれた。
旅先でカメラで撮影していても誰も関心を持たないが、スケッチブックに絵を描いていると誰かしら声をかけられる。ぼくはありのままを写生するんじゃなく、いくらかデフォルメして描くから、それがどうやらめずらしいようだった。
「ふむふむ、キミにはアレがそう見えるのかね」と。
1980年代当時、まだデジカメはなく、フイルムカメラで撮影したものを旅先で現像しようと現地のラボに持ち込むと、たいてい2~3日はかかると言われた。ぼくの旅行はどちらかといえばせわしく、ひとつの都市に3日も滞在しなかったから、現像はあきらめるしかなかった。撮影したらすぐ見れるカメラはポラロイドくらいしかなく、フィルム代はびっくりするくらい高かったのだ。
その代わり今より得るものは多かった気もする。
ぼくは部屋にチェックインするや否や、荷をほどく間もなく部屋のスケッチを始めた。四角を描き、大まかな間取りをとる。窓やドアの位置、ベッドや机の位置や高さ、洗面台の蛇口のかたち。ビデの有無。それらを確認し、線にする。壁の厚さのおおよそを目分量し、断面図を入れる。
はじめはぎこちなかったが、回数を重ねるほどにセンスが育ってきた。以前より消しゴムをいれる時間が減り、時間もかからなくなった。
▲ まあ、こんな感じで描いていました。当時はもっとうまくかけていたような気がするけど。
描けば、おのずと人は観るのだなと思った。
観れば人は考えるし、想うのだなあと。
知らない土地ならば、なおさらである。
旅は、だからいい。
ちなみにそのスケッチブックはイタリアのローマでバッグごと盗まれてしまった。バッグには他に読みかけの文庫本や地図、ペーパーバッグが入っていたくらいで金銭の類いはいっさいない。盗んだ相手も悔しかったろうけど、盗まれたぼくは絶望するほどショックだった。
絵はなくなってしまったが、記憶には残った。
旅はそんなことも含めて、旅である。
そんな旅から始めたぼくにとって「世界遺産ブーム」はどうにも据わりが悪い。ベストセラーばかりを読み、ヒット曲ばかりを聴くような気がするからだ。そもそも話題をなぞるだけの体験に、いったいどれほどの価値があるのだろう?
旅は自ら作るもので、作られた旅は必要ない。
さて今年はどこへ旅しよう?
近年の旅では旅先でスケッチすることはなくなりました。その代わり現地からブログに、観たことや想ったことを記事にしてアップしています。写真を撮り、これをレタッチソフトで編集し、イラストを描いて記事に添えてます。もっと時間に余裕のある旅をすれば、あるいはスケッチを復活させちゃうかもしんないですけどね。
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