「人は見かけによらない」などと口でいいながら、
あなたの第一印象は「見かけ」ですらないかもしれない。
ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルネットワーク。
やらないひとはぜんぜんやらないが、
やっているひとはとことんやっている。
中途半端にやっているひともいる。ぼくのように。
気になるのはアイコンだ。
第一印象はこのアイコンになるかもしれない。
ツイッターのタイムラインに、
フェイスブックのニュースフィードに
もうしつこいくらい表示されているアレである。
一度も会ったことはないが、相手が誰だかわかるのも
アイコンの写真を誰だか記憶していて、認識できるからだ。
ああ、○○さんだ。と。
このとき名前は見ない。
見慣れぬアイコンのときだけ、念のため名前を見る。
たかが72ピクセルの小さなアイコン。
だけど侮れない。
会ったこともない相手のツイッターならば特にだ。
そのアイコンが「ブタの写真」だとしたら、
あなたはその発言者をどうイメージするだろうか。
ぼくにとっての印象は「太った人」だ。または「食いしん坊」
たとえ実物がどんなに美人でスレンダーだとしても。
それでもただの景色や、意味のない文字、
なんなのかよくわからない写真よりはマシかもしれない。
一覧でみれば「印象の薄いひと」として他に埋もれる。
化粧をせず外出する女性は少ないだろう。
スーツを着ずに就職活動をするひとも。
もちろん人それぞれスタイルがある。自分らしさがある。
だけど
まわりが価値を認めない「自分らしさ」に意義はなく
自分の見せかたに無頓着な人は大人ではない、とぼくは思う。
いろんな人のいろんな発言を読むことが日常になった。
そこでは、なにを言ったかよりも、誰が言ったかのほうが重要だ。
ブランド(信用)というのは、だから大事なのだ。
発言者はブランドであり、アイコンはブランドを表す記号だ。
そんなこと知ったこっちゃないと個人的には思うのだけど。
▲ ここまでしてアイコン用写真を撮影することはないかもしれないけど
アイコンひとつで印象はずいぶんと変わる。
デザイン次第では人生まで変わってしまいそうだ。
ぼくのアイコンは「顔半分写真」である。
ツイッターもフェイスブックも統一して使っている。
識別しやすさでいえば、これはもう証明写真に限る。
そこで3年前にカンボジアのビザ申請用に撮った写真を拝借した。
72ピクセルで表示されても顔が識別できるよう、トリミングした。
なおきんのアイコン
■ 72ピクセル大のもの
▲ 小さくても顔が識別できるようトリミング処理。アイコンでは選択した写真の両端がカットされるからさらに露出が減ります。全身写真では誰が写っているのかわからなくなる恐れが。顔の部分だけにトリミングしたほうが無難です。■ 拡大したプロフィール写真
写真は一度つかったらあまり頻繁に変えないほうがいいと思う。
いちいち周囲が認識し辛いし、ブランドが固定しにくくなる。
企業がそうであるように、信用力だって落ちるだろう。
ちなみにこのイラ写のデザインは、7年間ほとんど変えていない。
デザイン次第でブログの印象が変わることを知っているからだ。
デザインが変わると記事の内容まで違って見えるかもしれない。
たとえば5年前読んでくれていた人が再び戻ってきたとき、
「いつものイラ写」でいたほうが安心してもらえると思う。
「変わり映えしねえな」とがっかりするかもしれないが、
それが来客を迎えるお店側のマナーってもんだと思う。
ともかくブランドとはそういうものだとぼくは思う。
他の多くから「あなた」だと識別してもらっている以上、
気分次第でコロコロ変えてちゃダメなのだ。
「いろんなわたしを見てもらいたくて・・」
そうかもしれないが、それは別の場所で見せてあげよう。
・あなただと識別してもらいやすいアイコンにすること
・一度デザインを決めたら、頻繁に変えないこと
それが大事だーよ by ヒロミGO
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