話の切り口

話の切り口が上手い人がいる。
フランス人なんか、全員そんな気がする。
以前一緒に仕事をしていたゲイのフランス人によれば、子供のころから「ほかと違う意見をいうこと」ばかり練習させられていたそうである。先生が教壇にバラの一輪ざしを指差して、生徒のひとりひとりに「これは何か?」ときく。前の子が「バラです」と答えていれば次の子からはそう言えない。20人目の子供が答えるころには、もはや原型がないくらいの表現になったそうだ。「女装したお父さんが口にくわえ、パンツに隠すものです」

話の切り口については、イラ写を書くようになって意識するようになった。つくづく自分にその才覚がないことも。自分なりの目線は大事だけど、自分を見る相手の、ちがう立場の人間の、それぞれの目線になりすましたり。

犬と遊ぶときは犬の目線になったり・・


▲ この場所がすき


▲ ソファからかけおりるうしろ姿

▲ おもちゃ@クリスマスバージョン

4 件のコメント

  • 私も昔から仕事で会うのに仕事に話を話題にせず、相手の興味と合うような話題をリアルタイムに推測してました。成功率は高かったと思います。また朝でも昼でも夜でも夜中でも食事に誘うのは人間が一番好きな時間だからです、食事時が。そんな食事の最中に開襟しない輩は実のないもみ殻の様な人でしょうから、値踏みも出来て一石二鳥ですね、少なくとも食事は終えたわけですから。ドイツ人は 「言い訳の天才」、娘の小学校時代の授業の内容はそれに終始しているかの印象でしたが、「論理的な思考を身に付ける為」 だと先生が言ってたようです。うん、所変われば品変わる、ですね。雄弁は金、沈黙は愚鈍の証明とドイツ人は言いますが、選挙をはたで見聞きしていると、多弁なだけで中身のなさそうな先生方の多いのに驚きますが、それでも言わないでいるより「マシ」ですね。

  • 早朝からちびきち君のお尻に萌えてます♡

    全員とは言いませんが、歴史的に弁論法で鍛えられてきたヨーロッパ人は、ひとつの話題に様々な意見を出して盛り上がれますよね(アメリカ人のディベートはどうかと思いますが)。そもそも、ひとつの物事を多面的に見てとらえてみよう、というのがディスカッションの面白さなのですが、日本ではどうも「喧嘩を売っている」と思われてしまう。ディスカッションが楽しめる場や相手って日本では限られてます。イラ写はその限られた場のひとつですね♪

    先日友人の付き添いで「ハイソ」と思っている人たちのパーティーに行きましたが、40歳を超えているのに20代のばか騒ぎ的な空っぽの話題にうんざりしました。今の日本を表しているようで、うすら寒くなりました…

  • 昔の同僚さん、いちばんゲットおめでとさまです!
    見かけによらず、意外と察しよくコミュニケーションができますよね。密かに尊敬してました。ドイツ人は「ああ言えばこう言う」タイプが多いかもしれませんね。弁が立つというか。でもあまりキレたりしなかったような気も。いや、いたかな。まあ、どの国にもひと通りいろんな人がいますね。
    ———————–
    riesenmausさん、
    「ハイソ」パーティお疲れ様でした。さて、日本人は子供の頃から正解がある問題しか解かなかったからか、他人と議論しながら妥当な答えを見つけようといった発送に乏しいかもしれませんね。おっしゃるとおり「多面性」は万物に備わる要素ですからね。
    ———————–
    たまやんさん、
    たしかに何事も訓練ですね。何事も。

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    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。