今年50になる人は、
昭和と平成を半分ずつ生きていることに気づくことだろう。ぼくもそのひとりなのだけど、あらためて感じるのは平成になってからの時間の速さだ。もの心ついてからの年月を思えば平成のほうが長く生きているのに、昭和のほうが長く生きた感覚がしてならない。「おれもそうだ」「あたしも」などいう同輩もいるから、ぼくだけの感覚でもなさそうだ。どっちだ?と訊かれれば「ぼくは昭和の男です」だと答えたい。
昭和の思い出にグリコがある。
グリコといえば今はポッキーかもしれないが、あのころグリコといえばまずおまけ付きのキャラメルのことだった。キャラメルと同じ箱でなく、別の箱に入っているのが素晴らしい。ケロッグのコーンフレーク(大箱)にもおもちゃが付いていたが、食べ物と同じ箱の中に入っていた。子供ながらに「ばっちいな」と思ったものである。グリコはおまけ欲しさに買うのだが、おまけだけだとしたら欲しくならなかったかもしれない。
いまではもう売っていないのかと思ったら「アソビグリコ」という商品名で、まだ現役であった。おまけのおもちゃは、なんと木製。写真でしか見てないが、なかなかのクオリティである。ぼくが小さいころのグリコのおもちゃは、たいていプラスチック製だった。それもふにゃにゃの。男の子用と女の子用に分かれていて、おまけの種類もそれぞれあった。まちがって「女の子用」をオトンが買ってきてしまい、ぼくはむくれ、泣きながら自分の部屋に立てこもった記憶がある。
そんなグリコの「ゴールインマーク」は、時代共に絵が変わっていったようだ。顔が変わり、ポーズが変わり、背景が変わった。知らなかったが、グリコキャラメルのデビューは1922年。あのころの日本は今よりずっと貧しく、高カロリー食品は「滋養が豊富」としてありがたがられた時代である。それはやがて戦争が始まり、終わり、戦後高度成長期にあっても同じだった。「一粒300メートル」という名コピーは、食べれば強くなり、早く走れるかもしれないと思わせるのにじゅうぶんだった。かけっこで一番になってゴールテープを切りたいと願う子供心をとても長いあいだ、掴み続けた。ダイエットなどという概念すらなかった。まして子供などは。
- 現在のゴールインマーク(平成4年〜現在)
- ぼくが子供だったころのゴールインマーク(昭和41年〜46年)
- デビュー当時のゴールインマーク(大正11年〜昭和4年)
▲女子学生から「顔が怖い」とのクレームをもとに、創業者の江崎氏が顔を変えたというエピソードがある。
大正時代のゴールインマークはたしかに顔は怖いが、脚の短さが当時の日本人を象徴するかのようだ。と思ったらこのモデル、フィリピン人マラソン選手なのだという。でもよくみると、脚のデザインに躍動感がある。まさに全力で走ってきて、テープを切るあの瞬間が認められる。それ以降のデザインは、ヒザが左右前後してその場に立ってバンザイをしているだけにみえる。まるでスピード感がない。
なんてことを友達をつかまえては「ヘンだ」と訴えていた。「これじゃ走ってきた感じが出とらん」などと言っては、だって横から見たらこうじゃん!と黒板に絵を書いてみせていた。という意味で、なかなか性格の暗そうな小学生である。どうでもいいことについこだわってしまうのは、いまもあまり変わらないのだけど。
そういうところが、昭和の男なのである。
メランコリック昭和時代。
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