ぼくは歩く、
とにかく歩く。
階段があれば、それを使う。
とにかく登る。そして降りる。
エスカレーターは使わない。
歩数計を胸ポケットにしのばせて
時速6km以上で、歩く。登る。降りる。
歩く時間はいちにち平均2時間。
つまり、だいたい12kmの距離を歩く。てくてくてく
「健康のため?」といわれるとちょっと困る。
それは結果だ。 目的ではないと思う。
自分の足で地面を蹴り、前に進む
という行為が、なんだかわかんないけど、好きなのだ。
ああ、自分はそんなふうに生きてきたんだな、とか思う。
こんなふうに「歩く」ことを意識したのは2年前。
毎日の「二子玉川駅まで徒歩20分」をどうするか?
iPodで聴く音楽やポッドキャスティング番組を選ぶ。
考えるテーマをひとつ決めて、歩く。 ひらめく。
多摩川にかかる長い橋の上を歩くのが、お気に入り。
橋の途中、ふりかえれば富士山が見えることもある。
朝は寒いけど、富士山が見えやすいからうれしい。
ポイントは、歩く姿勢。
顔を上げ、胸を張り、脚をまっすぐに出す。
目の前にある一本の線、その上を歩くことをイメージする。
後ろ足をギリギリまで残し、蹴りながら地面から離す。
そのほうが早く歩けるし、お尻が上がる効果があるようだ。
周囲から「上がったね」と言われる。 オジサンなのに。
座ってばかりだと、お尻は下がり、四角くなるから
毎日のことだけにこの差は大きいぞ、とか思う。
長く歩くと、自然にくよくよしなくなる。
仕事に悩んだら、こころが折れそうになったら
上着を着て外に出る。
4ブロックぶん、1周歩く。 そうして
アイデアをひとつ、ふたつお土産に抱えて戻る。
人は考える葦(あし)である
「足」じゃないのに、歩きながらついそう思う。
パスカルさん、ごめんなさい。 ほんとうの意味は、こうです。
”ナイルの河畔に生える葦は弱く、暴風に抵抗もせずしなる。身をまかせてしなり、しかし風が止むと何事もなかったかのようにもとにもどる。逆境に屈折したようにみえ、じつはそうではないしたたかさ。ひともまたそうであると。”
すごいな葦、ていうか人間。
そんなふうにして、きょうもぼくは歩く。
不満や不安に身をまかせて一度しなり、そして戻る。
なにごともなかったかのように。
自分はそんなふうに生きてきたんだな、とか思う。
■ 愛用の歩数計 「タニタ製FB-729」
自分なりにいろいろ試したけど結局これに落ち着きました。3Dセンサーが内蔵されているので、かなり正確に計れるようです。歩数、距離、消費カロリー、メッツなどが計測され、しかも1週間分の記録が残せます。値段も大きさも手ごろ。女性用のかわいいデザインもあるようですね。
個人的には昨今”ウォーキング”などとトレンドっぽく言い回されるのにちょっと抵抗があります。「いいじゃん、”歩く”で」などと思っちゃうんだな。おやじだし。
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