「気」というのはやっかいだ。
人の心にはときどき「邪気」が宿ることがあるからだ。自分の心や思いから生まれる、良くないエネルギー。怒り、妬み、恨み、嫉妬、不平不満、憎しみ、などといったエネルギー。これが気持ちを不安定にさせ、わがままにさせ、他人を攻撃しさえする。邪気に満ちた人はすぐにわかる。口だけで笑い、怒ってばかり。顔に疲れが浮かんでいて、目がつり上がっている。だいたいにおいて、愚痴と文句ばかりが口に出る。「ムカつく」「どうして自分ばっかり」の類が口ぐせである。犬によく吠えられるタイプだ。
邪気は心の病気を患わせる。「病は気から」の通り、病気にかかりやすくなる。それでとつぜん会社を休んだりする。邪気はまた、人に伝染る。邪気のある人を呼び寄せもする。こうなるとコワイ。お互いの邪気を高め合うからだ。だから「どうも自分の周囲には機嫌の悪い人が多いなあ」と思ったら、自分の中に溜まった邪気を疑うべきなのかもしれない。
じゃあどうやってそんな邪気を取り払うのか?ある種の宗教はそこに入り込むのかもしれない。祈りなさい、と。あるいは心理カウンセラーならば良い答えを持っているかもしれない。でもぼくは宗教家でも臨床心理士でもないので、普遍的な解決案を持たない。それでもなにか言えることがあるとすれば、邪気に対しては「無邪気」が効くのではないかと思う。定期的に無邪気に触れ、邪気を洗い流すことが。
無邪気なもの。
それは自然であり、静寂で神聖なもの。あるいは植物や動物、子どもたち。くったくのない笑顔。といったものが思い浮かぶ。ぼくにとってそれは、犬と野原で戯れたり、植物に水をやったり土を替える。知らない土地を旅する。ジャンクフードを控えるなどといった、だいたいにおいて他愛ないことだ。それゆえ、暮らしにもとけこみやすい。ここ数年、個人的にはほとんど風邪をひかなくなったし、悩まされていた頭痛がなくなった。健康診断を受ければオールA。3年半前にタバコをやめたからかもしれないが、おそらくちびきちが家にやってきたからだろうと、今更ながら思う。
犬はときどき人間に「なんでそんなむつかしい顔してるの?」と訊いてきます
邪気を払しょくすることはむつかしい。だけど体に長く留まらないよう、定期的に「無邪気」に触れ、それを洗い流すことが大切である。ただでさえ、齢を重ねるほどに代謝は失われ、免疫が低下する。ということは、いっそう「無邪気」に触れる回数や時間を増やさねばならなくなるのだろう。祖父母と孫の関係をみれば、なるほどなあと思う。
そういえばこのごろ、自分でもなんだか好き嫌いがはっきりしてきた気がする。これも、折り返し地点を過ぎ、これまで生きてきた時間よりこれから生きている時間のほうが減リ続けているからかもしれない。
今回の記事はなんだか妙に年寄りじみてるなあ。
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