老人、日本人を語る

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インドネシアの独立への道はことのほか厳しいものでした。巨大な塔はそのことを象徴していますね

インドネシア」と聞いて何をイメージするだろう?
スカルノ大統領、バリ島ナシゴレン、大津波、爆弾テロ・・・
日本人にとって、インドネシアは遠いアジアの一国に過ぎない。 ヨン様のような日本のオバサンに好まれるスターもいない。
バリ島は行ったことあるけど、インドネシアはまだ・・」 と真顔でいう知人もいる。 「インドネシアってベトナムとかあるあたりでしょ?」などという(それをいうならインドシナだ)。
本屋の旅行本コーナーをみても、あるのはバリ島のガイドブックばかりでインドネシアがない。 ようやく『地球の歩き方』シリーズで一冊あったくらいだ。

これが現実だ。

 

インドネシアでは「日本のおかげでインドネシアは独立することが出来た」と、学校で教えている。 第二次大戦中、初戦の快進撃でオランダを敗り、進駐してきた日本軍のインドネシア占領期間は3年半。 その間に日本人は自分たちに以下の4つのことをしたことを学ぶのだ。

1. インドネシア語を第一国語にし、オランダ語を禁止した
2. 軍事教練を受けさせ、インドネシア軍の基礎を作った
3. インドネシア人にも役職を与え、要職につかせた
4. プートラ(民族結集)など、民族自決の組織を支援した

350年ものオランダ統治時代、これらのことはすべて禁止されていた。 許せば民衆が団結し、独立機運が高まり、やがて統治している自分たちに歯向かうようになるからだ。 ならば民衆をバカなままにしておくほうがいい。 これを愚民政策という。
九州と同じくらいの大きさしかない小国オランダが列強のひとつとして君臨できたのは、この国を支配し、46倍もの土地と地元民をつかって得た香辛料やコーヒーなどの利益が本国にもたらされていたからでもある。

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インドネシアの国土は広く多くの島からなっているため、移動は飛行機が便利で割安(写真はジャカルタ空港、昔ながらのタラップで乗り降りする)

つまり日本人はオランダ人と真反対のことをしたのだ。
けれども350年にわたって人間扱いされなかった民衆を、たった3年半でどうこうできるものでもない。 しかもこの期間は日本は英米を相手に戦争をしていた。 オーストラリアとも中国とも戦争中だった。 後半はずっと負け戦が続き、日本とインドネシアの間で船舶が自由に航行できる状態ではなかった。 アメリカの潜水艦は輸送船だろうと病院船であろうと、かたっぱしから攻撃し、これを沈めていた。

そんな折でも、日本軍はインドネシア全土に学校を建て、病院を作っていった。 それまで600人しかいなかった高等教育を受けた地元民は、10万人に増えた。 一部の金持ちしか利用できなかった病院を、大衆に開放した。 橋を架け、鉄道を造った。 貨物用でしかなかった規格がバラバラの鉄道をひとつに統一し、人間が長距離移動できるようにした。(ジャカルタでは三田線の車両が使われている。つまり鉄道の規格はいまでも日本のそれだということだ)

 

これら日本軍の貢献を、インドネシアはちゃんと子供たちに教えている。 もちろんネガティブな部分も含めて。 それでも「日本がやってきてオランダを追い出さなければ自分たちの独立はなかったか、だいぶ遅れたはずだ」と理解している。 前の記事に書いたとおり「親日家が多い」のはこのためでもある。

不思議なことに、同じことを日本人は子供たちに教えない。 判を押したように「大戦中、日本軍はアジアに多大な迷惑をかけた」とだけ、教えている。 だから、なぜインドネシア人が親日家なのか知る由もない。

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△ 独立記念広場に刻まれた日本兵のもニュメント、人相はちょっと?ですけど

 

日本が敗戦し収容所を経てインドネシアから去った後、戻ってもう一度統治しようとしたオランダ軍に、インドネシア人はNOをつきつけた。 350年も支配され、とてもかなう相手ではないとあきらめていたオランダ軍が、自分たちと同じチビの日本軍にたった9日間で負かされるのを目の当たりにしていたからである。

インドネシア独立戦争は、結果80万人もの犠牲者を出すことになった。 日本の敗戦後、現地で武装解除された一部の日本兵(約2000人)は念願だった帰国もせずに現地に残り、オランダ軍相手にインドネシア人とともに戦ったのだ(このうち1000人が戦死)。 この崇高な行いを、ぼくたち戦後の日本人はなぜ歴史授業で習えないのだろう?

 

年輩のインドネシア人は嘆く。
今の日本人は金儲けばかりで卑屈になった。 昔の日本人は厳しかったけど、尊敬できるひとたちであった、と。
同じことは、むかし台湾人からも聞いた。

 

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△ ボロブドゥール遺跡で出会った老人。厳しい口調で日本人の貢献について語ってくれました

 

戦前の日本を否定することで、戦後の日本人は自己肯定してきた。
日本は平和国家として、多大な世界貢献している、と。

 

それは正しく、
いっぽうで間違えてもいる。

 

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△ これがその飼い主【バイクでタンデム中】(ところでこの写真、どうやって撮ったんだ!?)

■ オランダに350年支配されてたインドネシアを、日本軍が9日間で解放

とても貴重なフィルム. 1939年〜1942年のインドネシアのようす

6 件のコメント

  • なおきんさん、しばらくです。いつも楽しみに見させていただいています。
    インドネシアへは80年代の後半から仕事で何度か行きました。写真を見てとても懐かしかったです。ジョクジャにも旅行してボロブドール、プランバナン、王宮跡など見てあるきました。犯罪はあるものの、人はやさしく、のんびりしていました。食べ物も果物もおいしく、特にマンゴスチン、ドリアンは最高です。
    ジャカルタのスカルノハッタ空港からの日本行きは夜出るために暗くなった空港で待っていた記憶があります。
    またいつか行ってみたいと思っています。

  • なおきんさん、いろんな事を教えてくれてありがとう。
    私達が受けた歴史教育、本当におかしいですよね。
    事実を教えて欲しかった。

    と、いう事は、どんな高学歴の人でも
    事実を知らない人がものすごく多いという事
    ですよね。受験後、自分で学んでいなければ。

    争いごとは勿論無いほうが良い。
    しかし、昔は情報化社会でない為に、愚民化
    政策と合わせて、偏向情報で人々を扇動する
    事も有ったようですね。新聞がその大きな役割
    を果たしたと聞いた事が有ります。

    明治維新後、日本は何かの力に操られて
    いたりはしないのでしょうか?
    いろんなブログでも一部のグループの力に
    ついて書かれていますよね。

    グループも結構なのですが、大きな力や
    資金を皆がシェアできるものに使って
    人をできるだけ活かしたほうが、
    中から天才達が現れて想像以上の発明
    や面白いものを生み出してくれるのに。

    私はただ、世界の膨大な軍事費がいろんな
    教育費をはじめ社会保障・医療などに使われ
    ストレスや痛いとか苦しみや不安から解放
    されて、皆がシンプルながらも心だけは温かい
    暮らしが出来るようになったら、良いのになあ、
    と思います。

    最近、気づいたのですが、有りすぎる事よりも
    ほどほど足りたらあとは無いほうが幸せという事
    なのです。病気も、ストレスも、維持しなければ
    いけない物や義務も、複雑すぎる人間関係なども。

    シンプルで身の程、そうすると、今まで気づかな
    かった小さい事からもものすごい発見をしたり、
    感動をもらったり。うーん、説明が下手ですが、
    どんなにお買い物しても満たされなかった気持ち
    が、え?こんな事ですごい幸せなのですけれど、
    と感じたり。食だって、体調が悪い時に伝統的
    日本料理に少し変えただけで、とても体調が
    良くなったり。不思議なのですが、当たり前の
    事に気づいただけなのかも。私。

    私達は昔の日本人の生活に学ぶ事がきっと
    たくさんあるのかもしれませんね。

  • そーなんだぁ。。。インドネシアって 自分の中では存在感の薄い国でした。
    ただワタシが知っているのは 昔はバドミントンの強い国だった ってことだけです。今はわからないけど。えぇ、ワタシ ちょっと“オグシオ”だったんで。
    たしかに、日本人って日本のことよくわかってないよなー って思います。自分は不勉強なんですが、教える情報が違うような気がしますね。どっかのヘンな国のように洗脳するのではなくて、いいことも悪いことも全部ひっくるめて「歴史」なんだってこと、もっと考えた方がいいと思います。

  • 貴重な話です。歴史のいろんな側面を埋もれさせないようにしていきたいですね。
    でも初等中等教育で教えるのは少し難しいかもしれません。戦争を正当化する考えを生まないための歴史教育、「自虐史観」と批判されたとしても、その価値はあるような気がします。
    それにあれもこれもと教えて「消化不良」になっても困るかと… 何せ「パールハーバー」って何ですか?と教授に聞いた(日本人)大学生がいたそうですから、インドネシアまで行くのは難しそうです…

  • はじめまして。
    ブログランキングからきました。
    いろいろと勉強になります。
    インドネシアってバリ島とコモドドラゴン
    ぐらいしかしらなかったので(笑)
    リンクさせて頂きました。
    宜しくお願い致します。

  • Lexkenさん、一番ゲットおめでとさまです。
    しばらくぶりですね。最近調子はどうですか? インドネシアにはそんなに前から行かれていたんですね。懐かしい思いに貢献できてうれしいです。ぼくも21年ぶりのジャカルタ訪問でしたが、高層ビルのおかげで随分景色が一変してました。フルーツも美味しいですね。機会あればまた訪れてみてくださいね。
    ———————
    Nanaさん、力作コメントをありがとうございます。愚民化政策の目的は大衆を「コントロールされていると思わせないでコントロールする」というのもひとつ。こわいですね。戦後間もなくGHQがすべての日本の教科書や新聞記事に手入れし、かつ修正したことがわからないようにしました。同時に日本国民にWGIP(War Guilt information program:戦争罪悪刷り込みプログラム)を実行し、「あの戦争は間違いだった」と洗脳させていたのが明らかにもなりました。これが全共闘世代の反戦・反日思想と親和性が高かったのも皮肉ですね。中国・韓国の反日運動は、敵を作って国内世論をまとめるという目的では成功しましたが、メッキはやがてはがれます。ぼくたちは冷静にそれらを俯瞰できるよう、フラットに学んでいくほかありません。扇動も洗脳もなく。ましてや祖先の偉業を逆上げ足取りすることなく、ね。
    ———————-
    おかみっちょんさん、ブディさんに「スポーツはなにかやってるの?」と聞くと即座に「バドミントン」と答えてました。人気があるようですね。さて、歴史については多面性や多様性があり、同じ事象でも解釈によっては真反対の評価にもなります。そのことをふまえて決して勧善懲悪に陥らないよう、冷静に学んでいきたいですね。
    ———————-
    Kenさん、戦争を知らずして戦争を防ぐことはできません。なぜ戦争が起こるのかを「あの時の日本が軍事国家だったから」で片づけては本質を見誤りますしね。いっぽうで日本軍がやった残虐性については、中国や韓国に修学旅行させてでも学ばせようとする日教組のアンバランスさには首をかしげてしまいます。いずれにせよ、世論誘導の萌芽を学校教育の中に見るのは悲しいものです。
    ———————-
    もやこさん、初コメント、ありがとさまです!
    同じブログランキングカテゴリーでお世話さまです。カテゴリー全体が盛り上がるよう、がんばりましょうね。「コモドドラゴン」知りませんでした(恥)。あらためてブログ、拝見させてもらいました。いいです!くすっと笑えます。これからもよろしくおねがいしますね。

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    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。