正直に告白すれば「貧乏ゆすり」とは、
貧乏人をゆする悪い人のことだと思っていた。
正しい意味を知ったのは10代なかばのこと。
ぼくはとんでもなく基礎的な知識に欠けることがある。
はじめて本物の貧乏ゆすりをみたのは意外に遅く
ぼくが中学1年生のとき。
相手はそのときの担任の先生であった。
ガタガタと小刻みに揺れる机。
それが地震ではなく、正面に座る先生の膝からの振動だと気づくのに少し時間がかかった。たぶんなにか叱られることでもしたのだろう。10代の男子なんて大人をイライラさせるために生きているようなもんだ。ともかく先生の揺れる膝を見て、なんて器用なんだろうと思ったのを覚えている。
なぜ「貧乏」ゆすりというのか?
たぶんその時のぼくも、いろんな人に聞いたと思う。
いまでもよくわからない。
行動心理学では「貧乏ゆすり」を、何かしらフラストレーションを感じ、それを抑えようとするときに出る仕草というようだ。また、あれこれ気になってなかなか集中できない人に多いともいう。作家や芸術家に多いとも。
ヨーロッパで「貧乏ゆすり」をするひとに会ったことはないが、中国や韓国ではよくみかけた。日本にもわりといる。
まだ駆け出しのころ、先輩から「交渉相手が貧乏ゆすりを始めたら口ではイエスといっていても、本音はノーだからそう思え」と教わった。貧乏ゆすりは、本音を隠そうとする作用。意外だったが、この教えはのちにとても役立った。
言葉や顔、表情は、作ろうと思えば作れる。
交渉ごとに慣れている相手ならなおのことだ。
先輩もいろいろ痛い経験があるのだろう。
そんな実感をこめ、言うのだ。
「本音は下半身に出るんだ」と
なかなか意味深な言葉である。
言われてみればぼくの下半身など本音だらけである。
みるべきポイントは3つある。
1. 椅子の座り具合は浅いか、深いか
2. 両脚を閉じているか、自然に開いているか
3. 足を組んでいるか、いないか
答えはいずれも本音は前者がノー、後者がイエスである。
人間はそもそもネガティブにはできていない。
相手の頼みを断ったり反対意見を言うときには緊張する。
上半身は平然を装い、下半身が本音をばらす。
下半身にご注意。下心がバレちゃう。
これは教訓にすべきだろう。
同じようなことを、一年前にも書いた気がする。
10月は、個人的に下半身の季節かもしんない。
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