一日どのくらい文章を読んでいるのだろう?とふと思い
計算してみると、だいたい新書1冊ぶんの量があった。
パソコンやスマホなどの画面で読むのが半分強、
残り半分弱を、紙や本などの印刷物で読む。
書く方についてはどうだろうか。
もちろん読む量より、ずっと少ない。
例えばメールボックス。
ぼくの送信済トレイにあるメール数は
受信トレイの、だいたい5分の1程度である。
一日あたり約50通。加えて送信メールはとても短い。
10行を超えることはめったにない。
長文は論旨がぼやけるし、読む相手もヒマじゃない。
社内メールなら、回答は内線でさっとすませる。
会議中、ノートもあまり取らない。印(しるし)だけ。
どうせ見返さないことを知っているからだ。
企画書や報告書の類も最小限である。
日常で比較的長文を書くのは、イラ写記事くらいか。
コメント返しも長いが、音声で代用しようともした。
書く、話す、表現する・・・
文章を組み立てるとき、
思えば、ぼくは「書くこと」よりも「削ること」
そっちのほうに労力をかける。
イラストもだ。シンプルな線は、ごまかせない。
スピーチや説明も同様である。
ぼくの作るプレゼン資料なんて悪いけど絵だけである。
プレゼンは相手に読ませてはダメだからだ。
伝わる表現力はたいていシンプルである。
女性を口説く時もセリフは短いほうが、たぶんいい。
試せてないけど。
文章を削っているとき、目線は読み手である。
言いたいこと、書きたいことは二の次で、読み手の
聞きたいこと、読みたいことを優先する。
それを先回りして想像する。
これがなかなかむつかしい。時間がかかる。
なにもせず、じっと寝かせることもある。
書きたては熱い。熱くて味がわからない。だから冷ますのだ。
読むより、書くほうが時間がかかる。
ここまで書いて、半分削ってみる。やっぱり
書くより、削るほうに時間がかかっていた。
読むよりも、書くよりも、削るほうに時間がかかるなんて
まるでぼくの人生そのものじゃないか。
贅沢は敵だ。いや、贅肉こそ敵である。
イラ写の記事など、ふだんぼくが長文を書くときはたいてい”Omm Wrighter”というソフトを使います。画面いっぱいにエディタが現れるから、他に気を散らすことなく集中して文章作成に没頭できます。文字の大きさや背景は自由。さらにタイプ音や、BGMに癒しのヒーリング音楽が静かに流れるので、いっそう集中力アップ。MacのほかWindows用もあります。無料版もあるので気軽にトライ。iPad版は日本語には対応していないのでご注意を。
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